同時に道州制の議論も活発になっていた。

 殿塚が国会で、首都移転に関する質問のときに提案したのだ。

「今回、民友党の首都移転にはおおむねの部分において賛成します。しかし、国として頭の部分が生き残ったとしても、身体部分はかなりの老化が進んでおります。この際、一気に若返る手術を行うというのはどうでしょうか。お分かりとは思いますが道州制の導入です。すでにこの話題も首都移転同様、何度も議論の俎上には乗ってきました。しかしそのたびに、先送りになっています。この機会に、本気で進めていくことも必要です」

 国民の新しい日本を求める気運は止めることが出来なかった。

 新首都建設と同時に、道州制の議論に入ることになった。そして、首都移転の数年後には道州制に移行することが多くの議員の賛同を得た。

 さらに、首都移転後の東京のあり方にも議論が始まった。

「経済と文化の中心としてさらに発展させることが重要だ」

「その経済が崩壊する恐れがあるために、我々は大手術をやろうとしている」

「今後、日本は重要な機能は全土に分散させるべきだ。そのための交通、通信インフラさえ整えば十分にやっていける」

 様々な意見が出された。

 国民の間に、新しい日本再編への期待が膨らんでいった。

 そして首都移転計画を後押ししたのは、さらに頻発し始めた首都圏の地震だ。ほぼ数日おきに大小の地震が起こり始めたのだ。研究者はさらに東京直下型地震の時期が近づいたことを述べた。

 政府は首都移転準備と共に東京の防災と減災にさらに力を入れ始めた。各企業も事業継続計画を含めて本格的に取り組んでいる。

 とても国会でのんびり議論している場合ではない、これが議員、国民の間の空気となっていった。

 総理は野党党首を呼び、秘密裏に国会審議と議決を急ぐ必要性を説明した。

 同時に大手ゼネコン、運送会社、IT企業などの幹部が呼ばれ、移転計画の詳細が話され、準備に取り掛かった。

 土地の買収、基本的建物の設計などはすでに進められていた。

「2年で政府機能の移転を終了しなければならない」

 村津の言葉で移転チームは連日、徹夜続きで仕事を続けた。

 日本は国を上げてこのプロジェクトに取り組み始めたのだ。