「LTVはCACの3倍以上が良い」通説の根拠とは

小林:スタートアップの世界では経験的にCACに対してLTVが3倍以上だとビジネスとして健全だと広く言われていますが、「その根拠は?」と問われると明確には答えられない人がほとんどだと思います。その理由の1つは、LTVはそもそもかなりの程度で推計が入り混じった概念だからだと思います。

朝倉:そうですね。LTVは1顧客が取引終了までに生み出す全体の価値ですが、実際には取引がまだ終わっていない時点で試算するわけですから、不確定な未来の推測を含む概念です。

小林:LTVの算出方法はいくつかあるのですが、現在SaaSで広く使われているのは、「ARPU(ユーザー1人あたりの平均収益)÷チャーンレート(解約率)=LTV(ユーザー1人あたりの売上の合計)」という方法です。この計算式で、ユーザーが平均的にどのくらい課金してくれるのかが分かると言われています。

朝倉:具体的には、ユーザーの月々の支払いが1万円、チャーンレートが月10%だとするならば、「ARPU(1万/月)÷チャーンレート(10%/月)」であれば、LTVは10万円と推計するということですね。

小林:はい。本来は、LTVが少しでもCACを上回っていたならば、拡大のためにどんどん顧客獲得投資をしていけばいいわけです。

注意しなければならないのは、顧客一人あたりの平均収益にせよ、チャーンレートにせよ、現時点で顕在化している数字を使用して算出するため、本当に1年後にも同水準の数字かどうかは誰にも分からないという点です。LTVとはあくまでも推計です。

朝倉:先ほどの例で考えると、算出時のショットの景色としては、月次のARPU1万円・チャーンレート月10%だったものが、ひょっとしたら数ヵ月後にはARPU8000円・チャーンレート月20%に変動しているかもしれない。

LTVには推計的要素が入っているため、余裕をみておいたほうがいいだろうという思惑の下、「LTVがCACの3倍以上」を健全な目安としているのかもしれませんね。

村上:SaaSの場合、1ユーザーあたりの収益性を測る時に、LTVという売上ベースの値を採用できるのは、粗利が非常に高いビジネスだからだと思います。昔ながらの製造業になぞらえて考えてみると、LTVは製造業でいうところの限界利益、CACは固定費に近いものではないでしょうか。

製造業でも、限界利益が固定費を辛うじて上回っている程度ではリスクが高いと見なされますよね。製造業の場合は限界利益率4割~5割が健全な数値だと言われていたわけですが、それをSaaSのモデルに置き換えた時に、「LTVがCACの3倍以上」という公式が導かれたのだと思います。

ただ、厳密にはこの公式を下回っていても-例えば製造業で限界利益率が3割しかなくても-スケールすれば十分ペイするものもあったでしょうし、逆に公式はクリアしていても採算が取れないものもあるので一概には言えないでしょう。SaaSプロダクトでもそれは同様だと思います。

小林:村上さんが言うように、SaaSではLTVが粗利に近いケースが多いため、便宜的に売上をそのまま使用していることが多いですが、売上に対する純利益が半分くらいしかないビジネスの場合でも、LTV÷CACの公式をそのまま使用している事例も目にしたことがあります。この点は意識しておくべきだと思います。

朝倉:この点、SmartHRの場合、粗利をベースにしてLTVを算出していることを、代表の宮田さんは仰っていますね。

村上:まさに、自社ビジネスの粗利率を理解した上で適切なLTV・CACを考えるのが重要だと思います。