ECのニューノーマル#8Photo:Haitao Zhang/gettyimages

古くさい粗雑さと最新のデジタル技術が同居する中国マーケティングの現在地とは。特集『ECのニューノーマル』(全8回)の最終回では、中国での広告事業に取り組む、電通の藤井直毅氏が自ら体験した中国マーケティングの最前線を語った。(ダイヤモンド編集部特任アナリスト 高口康太)

社会主義が生んだ
中国的メディア

――日本と中国、二つの国で広告とPR(パブリックリレーションズ=広報)の現場に関わってこられたわけですが、両国のマーケティングにはどのような違いがあるのでしょうか。

 マーケティングという言葉の意味は広いのですが、私たち広告代理店が携わらせていただく場合はメディアを通じたコミュニケーションという形を取ることがほとんどです。だからわれわれもメディアの在り方に大きな影響を受けます。

 例えば中国では企業が記者会見をするときに紅包と呼ばれる金一封を記者に渡すという話を聞いたことはないでしょうか?現在ではかなり減っていますが、以前は横行していたと聞きますし、今でもローカル企業の間ではゼロではないとも聞きます。これは私たちの感覚ではNGではないかと思うのですが、内情を知るとそんなに簡単に善悪を判断できるものではないことが分かります。そもそもメディアというものの位置付けも考え方も違うのでマーケティングもおのずと違いが出てくるということです。

藤井直毅氏

 日本ではメディアと企業はある種の緊張関係があります。記者会見やプレスツアーを実施しても、企業側が提供できるのはあくまで材料であり、どのような切り口で何を書くかというアジェンダ設定はメディアの担当です。

 しかし、中国では違います。メディアは中国語で「媒体」と書きますが、これは極めて示唆的です。調べて書くのではなく、党や企業など発信者が伝えたい情報を市民に拡散するだけのまさに「媒体」としての役割だったのです。そう考えると、金一封を渡して書いてもらうのは、インフルエンサーに謝礼を支払って、拡散を依頼することと何ら変わりません。現在の日本では依頼した広告案件は明記する必要がありますが、中国ではそうした意識も希薄です。

 メディアがこういう状況ですと、企業が制作して費用を支払って出稿する「広告」と、メディアに取材してもらって記事を作る材料を提供する「PR」という、日本ではかなりはっきり分かれている両者が中国では大した違いがなくなってしまいます。広告は動画や写真などの「絵」が主体、PRは「文字」が主体ぐらいの違いでしょうか。ですから広告代理店とPR代理店の違いもより希薄です。コンペに出たら競合するのはPR代理店だったという経験は何度もあります。

広告とPRの融合は
世界的な現象だ

――こうした中国独特のメディア環境、広告環境はなぜ生まれたのでしょうか。

 歴史的には社会主義時代からの流れと理解できるのではないでしょうか。中国のメディアは「党の喉と舌」、つまり中国共産党の代弁者とされてきました。もともとは国や党の発表を広く知らせる社内誌や機関誌のようなものとされたからこそ、アジェンダ設定は必要なかったのです。市場経済が導入されて企業も情報発信側の仲間入りをし、メディアもある程度商業化したわけですが、もともとの位置付けの影響が大きいということはあると思います。