人間関係の「軋轢」に直面するのが、
参謀の仕事である

 当然、これは厳しい仕事でした。

 特に、厳しかったのは、ファイアストンの買収が終わり、PMI(経営統合)を進める段階に入って、ありとあらゆる問題が噴出したときでした。「買収後、何が出てくるかわからない」と批判をしていた人々からは、「そら、みたことか」「だから、言っただろう」と厳しく指弾する声が投げつけられました。

 あるいは、国内の営業部隊からは、「自分たちが必死になって稼いだお金を、放漫経営のファイアストンに投入するのはけしからん」という反発が日増しに強まりました。私も海外の営業現場でさんざん走り回り、汗をかいてきましたから、タイヤ1本売るのがいかに大変なことかは骨身にしみています。ですから、彼らの言い分もよくわかる。それだけに、そうした反発の矢面に立たされるのは辛かった。

 ただ、このような現象は、サポートする上司の職位が経営中枢に近づけば近づくほど、参謀にとっては避けようがないものです。

 なぜなら、「経営戦略」というものは、「現在」の延長線上につくるのではなく、「未来のあるべき姿」から逆算(バックキャスティング)してつくられるべきものだからです。つまり、「戦略」とは、現状とは非連続なものでなければならず、もっと言えば、現状否定の要素が必ず含まれているということ。そのような性格をもつ「戦略」は、現状を少しずつ改善(フォアキャスティング)していく現場から反発や抵抗を受けるのはやむを得ないことなのです。

 そして、ファイアストンの買収は、究極的なバックキャスティングでした。さまざまな問題や矛盾が噴出するのは誰の目にも明らかだったけれど、それを成し遂げなければ、ブリヂストンの活路は断たれる。どんなに「現場」の反発を受けても、やり抜くほかないわけで、厳しい対立構造にある人間関係の真っ只中に立つことなしに、参謀の役割など果たせるわけがなかったのです。

「人間関係は悪いのが普通」と達観する

 では、このような局面を、どう切り抜ければいいのでしょうか?

 私は、「人間関係は悪いのが普通」だという達観を養うほかない、と考えています。

 人間の悩みは、すべて人間関係に行きつくと言われるように、厳しい対立構造にある人間関係の真っ只中に立たされるのは、誰だってきつい。しかし、この役割を果たす参謀がいなければ、経営戦略を実行に移すことは不可能。であれば、逆説的ですが、「人間関係は悪いのが普通」と思って、淡々とやり抜く以外ないと思うのです。

 その点、私は恵まれていました。

 というのは、私は若い頃から、なぜか、社内のトラブルシューター的な役割を任されることが多かったからです。社内で何か問題が起きると「お前、見てこい」と言われる。見て来たら、「お前、なんとかして来い」と言われるわけです。

 そして、社内トラブルというのは、ひとつの部門内で問題が大きくなることはまれで、複数の部門が絡んで結果的に大きな問題となってしまうことがほとんどです。しかも、問題を突き詰めていくと「誰々が悪い」「いや、誰々が原因だ」という話に絶対になる。そして、トラブルシューターとしては、その対立構造の渦中に飛び込んでいかざるをえないわけです。

 それだけでも、ストレスがかかるうえに、問題を解決するためには、特定の誰かに対して、「ここを直してください」などと指摘しなければなりません。すると、当然、「お前に言われる筋合いはない」とけちょんけちょんに言われるわけです。問題を抱えている人にも、それなりの事情はあるので、私ごときに核心を突かれて逆上してしまうのも仕方のないことです。

 ひどいときには、お歴々が居並ぶ会議の場で、部下が何百人もいるような有力者から、「荒川はけしからん」「荒川は自分のことしか考えていない。そんな男がプロジェクトに口を出すから余計に問題がこじれるんだ」などと名指しで批判されたこともあります。

 やりたくてトラブルシューティングをしているわけではないので、「勘弁してくださいよ……」と、若い頃は何度も落ち込んだものです。「どうして、自分がこんな目に合わなければならないのか……」と。