「出世」はどうでもいいからこそ、
上司に「率直な意見」が言える
だから、私には、ほとんど「上昇志向」や「出世欲」がありませんでした。
むしろ、「上昇志向」や「出世欲」をむき出しに、ときにいがみ合う人々を見ながら、「どうして、そんなことで……」と鼻白む思いがしたものです。そういうのには、あまりかかわらず、「面白いこと」をやることに集中したかったし、仕事以外の時間は、絵画をはじめとするアートの世界に浸っていたかった。そのほうが、ずっと楽しかったからです。
でも、それがよかったのだと思います。
私を参謀役に抜擢した社長は、「お前はおとなしそうに見えるが、上席の者に対して、事実を曲げずにストレートにものを言う。俺が期待しているのはそこだ」と言いましたが、「上席の者に対して、事実を曲げずにストレートにもの言う」ことができたのも、私のなかに、特段の「上昇志向」がなかったからです。
心の底では、「別に、上司にどう思われてもいい」という割り切りがありましたから、どうしても納得できないときや、「おかしいんじゃないかな」と思うときには、自分の思いを押し殺してまで、上司に迎合する必要を感じませんでした。むしろ、自分の本当の気持ちを押し殺すことで、自分が自分でなくなってしまうことのほうが、よほど嫌だったのです。
「社長」になったからと言って、
どうってことはない
もっと言えば、ブリヂストンという会社にも、それほどの執着があったわけではありません。
私も、人並みに、「もう会社を辞めてしまおう」と腹を決めたことがあります。50歳を過ぎたころですが、私が真摯に考えた「会社のためにはこうしたほうがいい」という意見がことごとく否定される時期があり、「だったら、辞めたほうがいい」と転職先まで見つけたことがあるのです。
しかし、不思議なもので、「会社を辞める」と腹をくくると、「私心」が綺麗さっぱり消え去るのか、より一層、「会社が向かうべき方向」がクリアに見えてきました。しかも、ちょうどそのタイミングで、上層部から「ある事業でトラブルが発生したから、なんとかしてくれないか?」との相談があり、「じゃ、もうひと頑張りするか」という気持ちになったのです。
その後、さまざまな偶然も重なり、タイ法人、ヨーロッパ法人のCEOを経て、本社社長まで任されることになりました。もちろん、それは光栄なことではありましたが、それと同時に、さまざまな経営上の危機や個人的な挫折も経験しました。しかし、いまとなって断言できることがあります。それは、「社長になったからと言って、どうってことはない」ということです。
もちろん、社長ならではの「喜び」も味わわせていただきました。
特に、本社社長はトップリーダーですから、それまでに生み出してきた「新しい価値」よりはるかに大きいグローバル・レベルの「新しい価値」にチャレンジできます。
社長就任時に「名実ともに世界ナンバーワン企業になる事業基盤を築く」という目標を掲げ、世界14万人の社員たちの「共感」と「協力」を得て、全員の力を結集して、リーマンショックや東日本大震災という危機を乗り越え、当初からの定量目標であった「ROA(総資産利益率)6%」を達成することができました。この達成感は、自分にとって、かけがえのない、唯一無二の思い出であるのは確かなことです。
しかし、それを踏まえたうえで、ぜひお伝えしたいのは、社長になったからといって、人様と比べて「上等な人」になったわけではないし、「上等な人生」を送ったわけでもないということです。それはただ、「社長」という担当職をやったというだけのことで、それ以上の意味など、何ひとつないと心の底から思うのです。
だから、「上昇志向」や「出世欲」で、貴重な人生を毎日キリキリして費やすのは、非常にもったいないことだと、私は思っています。
それよりも、気負わず「自然体」で、自分が「面白い」と思うことを追求するほうがよほどいい。
「こんなことができたらいいな」という「理想」や「ビジョン」を掲げ、周囲の人々の共感を得、力を合わせて実現させることの喜びは、「出世」する喜びなどよりもはるかに深いものです。会社人生における楽しかった「モニュメント」にもなります。それを追求したほうが、きっと豊かな人生を送ることができると思うのです。
それに、これまで、いろいろな人々を見てきましたが、「上昇」「出世」をむき出しで「追いかける」人は、参謀には「不適格」という結論にならざるを得ませんでした。結局のところ、参謀として抜擢され、その後のキャリアも自然と拓かれていくのは、「自然体」で、周囲の人々と力を合わせて、生き生きと楽しそうに働いている人々だったのです。
これは、考えてみれば当たり前のことで、そういう人は、周囲の人々の力によって、「自然と押し上げられてくる」からです。そして、そのように現場で押し上げられてくる人物は、上層部にとっては、「経営」と「現場」の繋ぎ手としての参謀に最適任の人材だと認識されるのです。
私は、これこそ「自分を活かす道」だと思います。
「上昇志向」や「出世欲」を原動力にすることには限界があります。
それよりも、気負わず「自然体」で、周囲の人々と楽しく「新しい価値」を生み出すために働く。そんな素朴な姿勢こそが、私たちの可能性を最大限に拡大してくれるのだと確信しています。
世界最大のタイヤメーカー株式会社ブリヂストン元代表取締役社長
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むなど、海外事業に多大な貢献をする。40代で現場の課長職についていたころ、突如、社長直属の秘書課長を拝命。アメリカの国民的企業ファイアストンの買収・経営統合を進める社長の「参謀役」として、その実務を全面的にサポートする。その後、タイ現地法人社長、ヨーロッパ現地法人社長、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップの地位を奪還した翌年、2006年に本社社長に就任。世界約14万人の従業員を率い、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけ、世界ナンバーワン企業としての基盤を築く。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、日本経済新聞社社外監査役などを歴任。著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』(ダイヤモンド社)がある。