EQが低いからこそ、できること
エンジニアって、お互いに書いたコードをレビューしなきゃいけないことも多いんです。レビューのとき、EQが高い人だと、相手を傷つけないために「言わない」ことを選択する人もいます。
でも問題があるときにはちゃんと言わないと、バグを生み出すことにつながってしまうかもしれない。けれども、言い方を間違えてしまうと相手を傷つけてしまう。
僕はEQが低いせいか、「もっと良くできる場合には言っていこう」という姿勢が人よりも強かったので、この試練を数多く経験しています。
だからこそ、「HRTの原則」を人一倍、強く意識しているのかもしれません。『その仕事、全部やめてみよう』の中でも「決してクソコードとは言わずに、もっとかわいく、おもしろく“ひよコード”(ひよこ+コード)と言いましょう」と語っています。
――小野さんに会って、話を聞いていると「EQが低い」という印象はまったく受けないので、ちょっと意外な感じがしますね。
小野 むしろ人と楽しく会話するとか、人の話を理解するとか、考えていることを的確に伝えるという意味では、コミュニケーション能力は高いほうだと思います。
でも、本当にEQは昔から低くて、特に大学の弁論部時代には「論理飛躍などがあれば互いに指摘し合うことこそが正義」というルールがあったこともあり、バシバシ気づいたことを言ってました。それで人を傷つけてしまったこともあるので、誰よりも「HRTの原則」は身にしみているんです。
だから、僕が身につけているEQはオーガニックなものではなくて、ある意味で訓練によって鍛えられてきた人工的なものなんです。(笑)
――小野さんの話を聞いていると「EQが高くなきゃダメ」ってことでもなさそうですね?
小野 そうですね。僕のような「人工的なEQ」だって、問題なくコミュニケーションは取れます。「HRTの原則」を守りながら会話していれば、誰かを傷つけてしまうこともほとんど起きない。
そもそも「EQが大事です」って言われても、EQが低い人はどうしようもないじゃないですか。真似できないというか。僕の場合は、むしろEQの低さが効果的に機能している部分も多いですよ。
――具体的にどういうところですか?
小野 EQが低いせいか、僕の場合「自分と考えや感覚が近いから共感する」とか「遠いから共感できない」っていう発想がそもそもないんですよ。
近い人でも、遠い人でも、同じようにフラットに向き合えますし、同じように謙虚になれるし、尊敬も、信頼もできます。
これはすごく大事なポイントです。たとえば、組織改革するとき、相手が自分と違う価値観を持っていても、相手のことを否定したり、対立軸で捉えずにいられるというメリットは大きいですね。
――ある意味、誰にも共感しないから、誰に対してもフラットになれる?
小野 「誰にも共感しない」はちょっと言い過ぎかもしれませんが、極限までニュートラルで、自分と考え方が近いかどうかを重視しないという意味では、そういう面もあるかもしれません。
価値観や文化が違う人たちが融和して、協調的創造をしていかなければならない状況では、むしろメリットの方が大きいくらいです。