日本と米国は、良好な関係を維持できる
歴史学者のルネ・レモン氏や経済学者のアンガス・マディソン氏などのデータを使って比較すると、赤穂浪士の討り入りがあった頃(1700年代)の日本の人口と国内総生産(GDP)は、おおむね世界全体の約5%、中国の約20%で、米国の30倍もあったと言われています。今からは考えられないほどの大国だったのです。
それが明治維新の頃(1870年代)になると、日本の人口は世界全体の約2%、中国の約9%、米国の約88%くらいの規模だったそうです。日本のGDPは世界全体の約2%、中国の約13%、米国の約25%でした。依然、日本は大国だったけれど、米国の成長が著しいことが分かります。
ペリー提督に対して林復斎や岩瀬忠震が対等に交渉できたのは、彼らの能力もさることながら、彼らがオランダの風説書などで世界を勉強していたからだと言われています。日本には米国と対等に交渉できる国力があったのです。明治維新によって日本が成長したのではなく、明治維新の前から日本は大国だったというわけです。
幕末から明治維新に向かう過程ではさまざまなことが起こりましたが、日清戦争に勝ち、日英同盟を結んで日露戦争に勝つところまでの日本は、日英関係も日米関係も良好でした。
日米関係が反転したのは、日露戦争後の「桂・タフト協定」(フィリピンと朝鮮の支配権を相互に認めた日米の秘密協定)で米国に朝鮮半島の統治を認めてもらったにもかかわらず、南満州鉄道の共同所有を約束した「桂・ハリマン協定」を小村寿太郎外務大臣の反対で反故にしてからです。
米国は第一次世界大戦中から、日英同盟の延長に反対する意図を英国に伝え、1921年には米英仏日による四ヵ国条約が締結されて日英同盟は解消されました。
これにより、日本は長年の同盟国であり良好な関係を築いた英国との2ヵ国による情報交換などのやり取りができなくなりました。結果的にそれが、日本の中国大陸へのさらなる進出や第二次世界大戦へつながったと私は思います。
歴史を冷静に振り返れば、日本が約束を守りさえすれば、米国とは良好な関係が維持できたと分かるはずです。もちろん自主防衛に考えを改め、日本が米国を含む世界各国と対等な関係を結ぶ選択肢もあながち間違いとは言えないでしょう。
翻って今の日本を見ると、憲法九条と日米安全保障条約の下で行動しており、憲法改正などによる本格的な再軍備という方向性は現実的ではありません。であれば、やはりこの先も米国隷従の環境は続けていかざるを得ないのではないでしょうか。