これからの会社に必要な「チャンスの生産量」

糸井重里さん「チャンスの生産力が、人がよろこぶ指標になる」撮影:竹井俊晴

糸井:その通りです。たとえば、ほぼ日では、「チャンスの多い会社」という空気をつくっています。インターンの人が自分の言いだした商品が発売されるかもしれないと、わくわくしているんです。彼らは、一般的な会社では新人が商品をつくるなんてほぼないことを知らないから、「できるんですよ」と素直に興奮しています。おもしろいじゃないですか。そのほうが新しいチャンスが生まれるし、いいチャンスが、次のチャンスをつくっていってくれます。

 ぼくは、チャンスの生産力が、これから人がよろこぶ指標になるんじゃないかと思っています。

中竹:「チャンスの生産力」というのはいい言葉ですね。ほぼ日のカルチャーがいいなと思うのは、「新人が新商品をつくれるなんてほかの会社ではほぼないんだよ」ということを、新人に知らせずに、そのまま放っておくところです(笑)。

 普通の会社だと、「これにどんなに価値があることなのかわかっているのか」とあたかもその価値を強調してがんばらせようとします。でも、ほぼ日ではみんなが微笑みながら、新人が楽しそうに挑戦しているのを見守っていそうな印象です。

糸井:そういうルールにしているわけではないんです。ただ、たった数人の自転車屋さんなら、新人にも仕事をさせるしかないでしょう。それと同じなんです(笑)。きっと、組織の大小の概念が少し壊れているんでしょうね。

 でも、小さいと思ったほうが、生き生きと働けるんです。

 コロナ禍になってから、ぼくはずっと「いい子ちゃん」でいたんです。でもそれに疲れて、精神が少しやせてしまった。そう感じて、ずっとじくじくしていたんです。人間は、しょうもないことをしながら、その中でもできることをしていかないと、くたびれちゃうんです。

 それに気づいて、まずはこう書いてみたんです。「なにか意義のあることをしようとしている自分が見逃してきたものが多い」と。そして「見逃してきたものってなんだろう」と思ってわかったのは、「名づけようのないもの」を見逃してきたんです。

中竹:名づけようのないもの、ですか。

糸井:名づけても名づけ足りない愛とか。愛って、「これが愛だよ」と言われて理解できたりするものじゃないですよね。ほかにも、きれいなものとか、言葉にならない「ワー!」「何それ?」という感動や興味、興奮とか。

中竹:そういうことを考えたり、感じたりする時間が必要だということですね。

糸井:そんな時間がなかったんだな、と思ったんです。「不要不急」と言われているものこそ、ぼくらの仕事だった。名づけようのないものが価値なんだということを、ぼくらは堂々と信じて仕事をしてきたわけで、それがコロナ禍で失われてしまっていたんです。

 でも、そういうふうにぼくが書くと「それに気づく糸井さんでよかった」というメールが1通ぐらい届くんですよね。

中竹:1通ですか(笑)。

糸井:自己反省だから、愚痴にも見えるわけですよ。でも、そういう反応があると助かりますね。言葉にするのは、自分のためにもすごくよかったです。だからぼくは、「できない」と思いながらでもいいから、言葉にしようと伝えています。

「『アンネの日記』がなかったら、第二次世界大戦のときのことは、誰も知らなかったんだよ。ぼくらはこの時代に、こんなたくさんの人数で『アンネの日記』の集大成をつくるんだ。あとで見たら絶対におもしろいから」と社内で話をしたら、社員たちがみんな手帳に日記を書いてくれたんです。

中竹:まさにそこがほぼ日のカルチャーですよね。

 ぼくが糸井さんに感じるのは、言葉にすることの大切さを知っておきながら、言葉にならないところの大切さも知っている。普通は言葉にすることが大事だと思うと、言葉にすることばかりに意識が向いてしまうのに、名づけようのない価値、言葉にならないものも同時に大切にしています。

 そんな糸井さんご本人の影響で、ほぼ日の組織文化にも同じような絶妙なバランス感覚があるのかなと思います。

糸井:ありますね。言葉になる大元のところで感じるものがあることが、人間ですよね。人間は記号を扱っているわけじゃありません。元になる何かがないのに、記号が生まれるはずはありません。カルチャーの話は、おもしろいですね。

中竹:はい。そして、コロナ禍のような危機のときには、普段以上に一層、ほぼ日のカルチャーが必要なんじゃないですかね。

糸井:そうだとうれしいですね。