しかも、夫婦して田舎暮らしの経験は皆無、親の代も都市生活者という出自です。自分たちなりによく考えてのことでしたが、「定年後の田舎暮らしならわかるけど、小さな子のいる忙しい時期になぜ?」「大きな出費はあるし、往復も手間だし、そこまでしてやりたいの?」と、まわりからいろいろ心配されました。
それらの心配には「ビンゴ!」な部分もありましたし、的外れのものもありましたが、生活のたて方という意味では大抵のことは慣れによってクリアされていくものでした。
例えば、大変だと思われがちな週末の移動ですが、移動先も“我が家”ですから旅行とはテンションが違います。むしろ、金曜の夜に東京から南房総に移動し、明けて迎える土曜日の朝は一週間の中でも特別です。
週末の住まいである低気密、低断熱の古い古い農家は、決して体を甘やかしてくれる環境ではありませんが、この家に漂うしーんと澄んだ空気はなぜか深い眠りと目覚めの穏やかさをもたらします。
朝、夢と現(うつつ)の間でうつらうつらしながら聞こえてくるのは、家の前を走るバスや車の走行音でもクラクションでもなく、どことなく滑稽なウグイスの鳴き声です。
「ホー、ケキョケ!」「ホ、ホケチョン!」「……ホキョ」
ホキョ? ふふふ、ヘタっぴ。
平日の仕事の疲れが体の芯にまだ残ってはいるものの、初鳴きのかわいらしさに誘われて布団からそっと抜け出します。
夜半から未明にかけての冷気が畳の上に溜まっていて、頬まで布団をずり上げて眠るこどもたちは微動だにしません。大人だけじゃない、こどもだって平日精いっぱい頑張ってるもんね。
上着を羽織り、つんと寒いおもてに出ると、青いような甘いような濃い匂いをはらんだ靄が、体を包み込みます。凝縮した命の匂いと、立ちのぼる土の湿り気。畑の真ん中に仁王立ちして胸いっぱいに吸い込むと、あぁ……生き返る!
これだこれ、この瞬間のために今週も頑張ってきたんだ。
そんなわたしの足元では虫が跳ね、頭上にはトンビが舞います。
ようやく体に血がまわりはじめて大きく伸びをしたところで、「♪たーららーららー」と午前七時を知らせる管内放送。寝る時間も起きる時間も人によって大きく違う東京では考えられないこと。この音で、集落のみんなの1日が始まるのです。