進行の食道ガンステージ3を生き抜いたジャーナリストの金田信一郎氏が、病院と治療法を自ら選択して生き抜いた著書『ドキュメント がん治療選択』。本書で金田氏が東大病院(東京大学医学部附属病院)から逃亡し、メディアにも一切出ない“神の手”を頼って転院した先が国立がんセンター東病院でした。東病院に転院後も、金田氏は外科手術を土壇場でやめて、放射線治療へと切り替えます。第4回は国立がんセンター東病院が挑戦しているがん治療のイノベーションについて。AIやIT技術を駆使し、スタートアップと組んでがん治療のシリコンバレーを目指しているそうです。どんな未来が描かれているのか、国立がんセンター東病院の病院長に聞きました。(聞き手は金田信一郎)

■がんセンター東病院長の「がん治療選択」01回目▶「がん治療で決定的な差! 国立がんセンター東病院に「診療科の壁」がない理由」
■がんセンター東病院長の「がん治療選択」02回目▶「がん治療で世界最先端の研究から周回遅れの日本は挽回できるのか?」
■がんセンター東病院長の「がん治療選択」03回目▶「最先端のがん治療薬の開発で遅れた日本、がん遺伝子検査で巻き戻せるか」

がん治療のシリコンバレー、国立がんセンター東病院が描く医療の未来『ドキュメントがん治療選択』著者の金田信一郎氏が東大病院から逃亡して頼った国立がんセンター東病院。大津敦病院長に、同病院の治療方針などについて聞きました。インタビューは2021年5月18日に実施(Photo: HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN)

――なんで、藪の中に忽然と現れた病院が、遅れていた日本医療の中心になって、突出したモノを作り出せるようになったんですか。

大津敦病院長(以下、大津) それはパッションがある職員が多いんじゃないですか(笑)。

――パッションですか。

大津 パッションですよ。新しいモノを作るのはパッションが重要で、シリコンバレーのことを当事者の先生にうかがうと、アップルはじめ、多くの企業がなぜ成功しているか、という話と共通項があると思います。

「若者」「バカ者」「よそ者」が、天才的な科学の才能がある。

 ただ、科学の天才がいてもダメで、周りに経営のサポーターが必要です。日本でも例えば、ソニーの井深大と盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎と藤沢武夫のように、(技術と経営の)ペアが必要です。

――そういう若くて破天荒な人材がいるわけですね。

大津 ここは国立でありながら、開院以来自由度が高い。そういう文化を開院当初の幹部の先生方がつくられ、受け継がれてきています。自由度が高くて、新しい挑戦ができる。スクラムジャパンを立ち上げる時は「大丈夫か」と思ったけれど、突っ走っちゃう先生方が多くて、それがうまく回っている。

――みなさん、この病院から離れないですよね。大津先生も開院以来いらっしゃるし、私が診てもらった藤田武郎先生(食道外科長)も長いですよね。

大津 長いですね。レジデントから来たんで。彼ももう50歳ぐらいですね。たぶん、ずっとここですね。

――みなさん、長い。

大津 まあ、若い人は入れ替わっていますけどね。私はこの病院が好きですし、多くの職員がそうだと思います。

――ご出身は東北ですね。

大津 大学は東北大学ですが、初期研修で福島のいわき市に6年いました。出身は茨城で、いわき市の隣町でした。それで、がんセンターの築地でレジデントが終わって、いわき市にいったん戻ったのですが、元上司に「こっち(東病院)に来い」って言われて、来ました。

――『ガン回廊の朝』の頃から目指した各科を超えた自由を、この柏の地で引き継いでいらっしゃる。

大津 はるか上のOBの方たちに、「柏はがんセンターの文化を残している」と言われたりします。

――大津先生は内科医でがん専門病院のトップに就いている。がんの世界は外科が中心になることが多いと思うんですが。

大津 まあ、珍しいですね。恐らく、内科医でがんの主な専門病院の院長はほとんどいないんじゃないでしょうか。

――病院に入った瞬間に、光が差し込む広いエントランスが印象的です。

大津 もう建ってから30年たちますが、エントランスと外来に広いスペースをつくってくれたのは助かりました。

 東病院では手術室や通院治療センターという抗がん剤のスペースを広くしました。以前は抗がん剤は入院でやっていたのですが、ほとんどが外来で行うようになり、今は1日200人ぐらい、通院で抗がん剤治療をしています。

――東病院の案内やウェブサイトにビジョンが書いてあります。「世界最高のがん医療の提供」と「世界レベルの新しいがん医療の創出」と。そして、基本方針として、「人間らしさを大切に、患者さん一人一人に最適かつ最新のがん医療を提供する」とあります。あれは、誰がつくったんですか。

大津 私です。2016年に院長になった時に、世界最高を目指すぞと言いました。その時、みんなは「ありえない」という雰囲気でしたけど、年々、それに近づいてきています。

――ほかの病院では、ここまでの宣言は見たことありません。

大津 まあ、半分はったりですよ(笑)。そういう方向を目指すんだという話です。あと、2010年に独法化した頃は、今の半分しかスタッフがいませんでした。独法化前は、年に1~2人しか職員を増やせなかったんですから。それが、収支に応じて増員できるようになり、わずか10年で1500人と2倍になりました。医師が常勤150人、レジデントを入れると250人になりました。看護師も500人います。

――そうなると、受け入れる患者数も増える。

大津 新患がちょうど1万人くらいになりました。今、病床稼働率は100%を超えていますからね。

 理念を明確にするのは、大事なことだと思っています。達成できようが、できまいが、「そこを目指すんだ」とみんなに徹底していく。今は違和感がなくなったようですね。世界的なスクラムジャパンをはじめ、世界的な研究プロジェクトがいくつも進んでいますから。

――なるほど、この病院は裏側で、こういうことを目指してやってきたから、独特な雰囲気があると理解できました。ただ、一般的には知られていないですね。別に宣伝しなくていい、ということですか。

大津 そんなことはないんですけど、どうしても地味になっています。

――すでに、全国から患者さんがどんどん集まってきますからね。

大津 もっと増やそうと思っていますよ。2022年には、ホテルとラボ(研究所)がオープンします。両方とも三井(不動産グループ)がつくっているので、我々はそこを使う側ですが。企業も誘致を進めていて、全国から新薬や細胞療法などの開発・研究者がどんどん、ここに集まってきてくれることを期待しています。

――シリコンバレーの医療版のようですね。

大津 そうです。医療機器開発のグループも大腸外科科長の伊藤(雅昭)くんを中心に頑張っていて、「ここを日本のシリコンバレーにする」という発想でみんな取り組んでいるんです。

 医療機器開発グループもAI(人工知能)やITのエンジニアなどの研究者がたくさん集まってきて、病院内医療機器開発センターで、企業やアカデミア施設の研究者と一緒に開発を進めています。最近ではここに外科医だけではなく、いろんな人材が集まっていて、幅広い診療科の医師や看護師、メディカルスタッフと混じり合って研究を進めています。異分野の人たちが、お茶を飲みながら意見交換している。だからおもしろいんです。

――病院内が交流の場になっているわけですね。また、隣に東大や千葉大のキャンパスがあって、研究者がいるのも大きいですか。

大津 それは、大きいです。隣に産総研(産業技術総合研究所)のAI拠点と、情報研(国立情報学研究所)もあります。

 2021年からは、東大系のベンチャーキャピタル、UTEC(東京大学エッジキャピタルパートナーズ)が、我々と共同でベンチャー育成プログラムを開始しました。それに追随しようとするベンチャーキャピタルも出てきました。まだ規模が小さいですが、ようやく世界のトップの大学に似た取り組みを始められました。

――藪だらけだった場所が、そういう街になりつつある。

大津 日本の中ではユニークな街になると思います。次の世代の人が活躍する基盤をできるだけつくって、新しい医療をより早く患者さんに提供し、海外に負けない開発研究の拠点となることを夢みて進めています。
(完)