17歳でインドから米国に移住したシュルティ・ガンディ氏。エンジニア出身の女性ベンチャーキャピタリストとして、今、シリコンバレーで注目の存在だ。特集『グローバル時代に勝つ人材の流儀』(全6回)の#5では、ガンディ氏に、世界から起業家が集まり、厳しい競争が繰り広げられているシリコンバレーで勝ち残る極意を聞いた。(聞き手/校條 浩)
エンジニア出身だからこそ
マイクロVCとして独立できた
校條 ガンディさん、あなたはエンジニアからベンチャーキャピタリストに転身されましたね。アレイ・ベンチャーズは、立ち上がったばかりのベンチャー企業を探し出し、いち早く投資する「マイクロVC(ベンチャーキャピタル)」の一社として注目される存在になりました。今や、このような小規模なVCは1000社以上になりましたが、アレイ・ベンチャーズの成功についてお伺いしたいと思います。まずは、立ち上げの経緯を教えてください。
ガンディ 私の家族は起業家の家系で、私もいつか起業したいと思っていました。10年ほどエンジニアとして働いた後、急成長するようなベンチャーを起業しようと決意しました。サムスングループでVCファンドの立ち上げを、有力VCの一つであるトゥルー・ベンチャーズで急成長するベンチャー企業を見てきたので、起業について学べたことも大きかったです。
その当時一緒に働いていた起業家たちが、もし私が起業したり、あるいは投資家として独立したなら、一緒にやりましょうと言ってくれていました。彼らとは、成功して大きな富を得るというゴールも共有できていた。このときの経緯はいろいろあったのですが、偶然にもこのときに得た人とのつながりがあって、投資家としてVCファンドを立ち上げることができ、今のアレイ・ベンチャーズに至っています。
校條 一緒に働いていたといっても、起業家たちから信用を得て、ファンドを立ち上げるのは簡単ではなかったのでは。
ガンディ 二つあると思います。まず私にはテクノロジーの最前線で働いていた経歴があったため、起業家たちの理解と共感を得やすかったことです。起業家は皆、私のようにエンジニアです。彼らからすれば、私は“起業家側”の人間だと思ったのでしょうね。
もう一つは、私のようにエンジニア出身のVCは、起業家たちの商品が市場に受け入れられるかどうかを、市場とうまくコミュニケーションを取ることで提案できます。起業家たちには、市場コミュニケーションやPRの専門の人材を雇う金銭的な余裕はありませんし、それにこのような専門の人材は必ずしもテクノロジーに明るいわけではありません。
こうした要因があって、私は起業家たちと一緒に働くことができているのだと思います。