孫正義社長のもとで、
強制的に身についた「マネジメント手法」
これは、私のソフトバンクでの実体験に基づく確信です。
私は、新卒で携帯電話の販売会社に就職し、「飛び込み営業」からキャリアをスタートさせました。「根性」で売る体育会系の営業会社でしたが、試行錯誤をしながら、ほぼ独力で「データ」を活用した営業手法を開発。好成績を上げることに成功し、20代半ばで管理職になって以降、マネジメント技術を磨き続けてきました。
その後、J-phoneに転職しましたが、イギリスのボーダフォン、さらにソフトバンクに買収され、期せずして、国鉄にルーツをもつ日本的大企業(J-phone)、外資系企業(ボーダフォン)、さらにカリスマ経営者が率いる個性的な大企業(ソフトバンク)と、さまざまな企業文化を体験。また、営業現場、管理部門、省庁と折衝する渉外部門、経営企画部門などさまざまなセクションでマネジメントをする機会にも恵まれました。
そして、孫正義社長の後継者育成機関である「ソフトバンク・アカデミア」に選抜されたことが、大きな転機となりました。
そこでプレゼンした事業提案が孫社長に認められて、事業化するために子会社の社外取締役への就任を命じられたほか、ソフトバンク社内の複数部門のマネジメントも任されるようになったのです。
任された部門の所在地はバラバラですから、ほとんどのメンバーとは同じ場所で仕事をすることができません。その結果、なかば強制的に、リモート・マネジメントの技術を磨かざるをえなくなりました。
しかも、トップは孫社長ですから、スピード感をもって「結果」を出していくことが強く求められます。だから、慣れないリモート・マネジメントでしたが、なんとかするほかありません。それまでの管理職としての経験から学んだ「教訓」を総動員しながら、試行錯誤を繰り返しつつ、私なりのリモート・マネジメントを磨き上げていったのです。
「自由」な管理職が、
「創造的」なプロジェクトを生み出す
そして、徐々に、リモート・マネジメントができるようになると、私の目の前には新しい世界が一気に開けていきました。
自由に動き回ることができるようになった私は、ソフトバンク・アカデミアで知り合った「社外の人材」を起点に、どんどん人脈を拡大。そこから、新しいビジネスの「知見」や「種」を見つけてきて、社内で新規プロジェクトを立ち上げるなど、より創造的な仕事ができるようになっていったのです。
それは、実に面白く、刺激的な経験でした。この時ほど、自分の「能力」が広げられるのを感じたことはありませんでしたし、会社で働く醍醐味を味わったこともありませんでした。そのような経験をさせてくれたソフトバンクと孫正義社長には感謝の気持ちしかありません。
しかし、その後、私はソフトバンクを退社する決断をしました。
社外人脈を開拓するプロセスで知遇を得た起業家たちに刺激を受けることで、最終的に「書家」として独立する道を選択したのです。
私は5歳から書道を学び、大学では書道で教員免許を取得しましたが、思うところがあって通信事業にかかわる会社に就職。それ以来、「ビジネスパーソン」と「書家」の二足の草鞋を履いてきましたが、いつしか「書家」として成し遂げたい夢が、抑えられないほど大きく膨らんでいくのを感じるようになっていました。
そこで、当時の私には、ソフトバンクでキャリアを積んでいく「道」も開けていましたし、それもとても魅力的ではありましたが、思い切って「書家」としての活動に人生の軸足を移すことにしたのです。
現在は、全国5ヵ所で書道教室を運営しながら、書家として作品を発表するとともに、30万部を突破した『社内プレゼンの資料作成術』シリーズを刊行するほか、数多くの企業にビジネス・コンサルティングを行う事業を展開。皆様の温かいサポートのおかげで、とても充実した人生を送らせていただいています。