みずほと三菱UFJという巨大銀行の誕生に挟まれ、2001年4月に統合した三井住友銀行は当初国内3番手だった。それが今、みずほを追い抜き三菱UFJと2強の座を盤石にしている。特集『三井住友 名門「財閥」の野望』(全18回)の#5では、8年間グループを率いた三井住友フィナンシャルグループ(FG)の國部毅会長が、転換点を述懐する。(ダイヤモンド編集部 田上貴大)
三井住友FG國部毅会長が振り返る統合20年
みずほ誕生を機に西川・岡田頭取の議論が進展
――三井住友銀行は2021年4月で誕生20年を迎えました。銀行危機の時代に迎えた経営統合を、國部会長はどんな思いで見ていましたか。
当時は、バブル崩壊後の不良債権問題が各銀行にとって最大の経営課題でした。さくら銀行なら岡田明重頭取、住友銀行なら西川善文頭取という経営者が、この課題をどう克服するかを常に考えていて、一つの解決策が他行との統合だったと思います。
そんな中で、1999年8月に発表されたみずほの3行統合が、大きなきっかけになったのでしょう。この発表の直後に、両頭取が臨海副都心のある商業施設でのオープンニングセレモニーで会って話をしたことが、統合議論のスタートだとされています。
そこから急速に話が進展し、両行の経営統合が発表されたのが99年10月14日のことでした。直前まで私は、北九州で支店長兼法人営業部長をしていましたが、翌年度から始まる全国銀行協会の会長行室長に就任する辞令が10月に出たところでした。着任したまさに当日くらいに統合が発表されたことを今でも覚えています。
統合については、「三井グループを基盤とするさくら銀行と住友グループを基盤とする住友銀行が、財閥の枠を超えて統合するとは全く想像もしなかった」とお客さまからも言われましたね。
ただ、私自身がトップとして三井住友銀行を経営していた身でもありますし、今から振り返っても当時の決断がすごく重要な意義を持っていたことを実感しています。
――重要な意義とは何でしょうか。
顧客基盤が非常に厚くなって収益力が上がり、財務基盤も強化されて、不良債権問題を克服できました。2006年には公的資金を返済し、次の成長への道筋をつけています。
統合作業を進めていく上では、ベストプラクティスがキーワードでした。両行で良い銀行をつくっていく。その思想が最後まで貫かれていましたね。
――何が経営統合を成功に導いたとお考えですか。
一つが合併方式を取ったことです。それにより、(店舗統廃合などで)コストシナジーを最大限出すことができました。
あとは人の縁も大事でした。岡田頭取と西川頭取は、不良債権で大変な時代にお互い企画担当として常に話をしていて、頭取になってからも二人で議論しています。経営統合あるいは企業買収においては、経営者同士の信頼関係が大事であり、私たちが良いスタートを切れた一つの要因でした。
そして、ベストプラクティスの一例かつ最大のものが、システムです。