狙われている日米安保の「死角」

 このような特異な性格を持つ中国のハイブリッド戦に対して、アメリカやその同盟諸国は、うまく対応できていない

 というのも、アメリカとその同盟諸国は、戦時と平時を峻別し、武力を行使して行うもののみを「戦争」とみなし、戦争というものは可能な限り短く終わらせたいと考えがちだ。しかも、中国のハイブリッド戦に対抗するという明確な戦略を持ち合わせておらず、そのための手段も乏しい。

 それゆえ、アメリカとその同盟諸国は、中国のハイブリッド戦による攻撃を受けても、それを「平時」とみなして見逃してしまう。ゆえに、対抗措置も後手に回りがちになる。実際、アメリカは、2010年代の半ばまで、中国の台頭は平和的なものだと信じ、中国の軍事大国化を看過していた

 さらに、中国は、ハイブリッド戦の一環として、アメリカとその同盟諸国の経済界や、マス・メディア、あるいは政治家たちが、中国との関係を悪化させるのを恐れるように仕向けている。

 特に、経済界は、中国市場に対して多額の輸出や投資を行って、莫大な利益を得ているため、中国との関係を良好に保つよう、自国の政治に強く働きかけるであろう。要するに、中国は、その巨大な市場を、アメリカに勝利するためのハイブリッド戦の武器としているのだ。

 この中国のハイブリッド戦による攻撃をほぼ日常的に受けているのが、日本である。それが端的に現れているのが、尖閣諸島にほかならない。

 2012年9月11日に日本が尖閣諸島の魚釣島など三島を国有化して以降、中国公船は、ほぼ毎日接続水域に入域するようになり、領海侵入も頻繁に発生している。

 また、2018年7月、中国海警局が人民武装警察部隊に編入・増強され、2021年1月には、海警局の武器使用を認める法整備が行われた。中国は、海警局という、非軍事組織を利用するハイブリッド戦を日本に対して仕掛けているのだ。

 これに対して、日本は、アメリカに対し、日米安全保障条約が尖閣諸島に対しても適用されるという確認を再三求めてきた。

 だが、そもそも、日米安保条約は、ハイブリッド戦に対応できるようになっていないのである。

 日米安保条約は、第五条において「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と規定している。

 しかし、「武力」攻撃であるか否か曖昧なハイブリッド戦に対しては、日米安保条約が適用されるか定かではない。また、「日本国の施政下にある領域」とあることから、尖閣諸島が中国の占拠によって日本の施政下にあるとは言えなくなった場合にも、適用されない可能性がある。

 このため、平時と戦時を曖昧にするハイブリッド戦に対しては、日米安保条約に基づくアメリカの対応は遅れ、後手に回るだろう。それこそが、中国の狙いなのである。

 要するに、我が国がその安全保障の要とする日米安保条約とは、前世紀の戦争を前提としており、21世紀のハイブリッド戦には通用しない代物だということだ。

 さらに根本的な問題がある。

 ハイブリッド戦には、平時と戦時の区別はない。そのハイブリッド戦を中国は遂行している。ということは、中国にとって、今は、すでに戦時中だということだ。

 これに対して、我が国は、未だ「平時」にあると思い込んでいるのである。

 なお、『変異する資本主義』では、このハイブリッド戦が、資本主義にどのような変化をもたらしているかについて論じているので、参照されたい。

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の政治学』(文春新書)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)など。