しかし、その後世界的な自動車大再編で勢力図が変化したことによって、2000年から自工会の会長職はトヨタ、日産、ホンダの3社の輪番制がスタンダードになった。

 各社の中で会長を務めるのは、それぞれの“お家の事情”による暗黙の了解がある。例えば、トヨタは社長自ら会長に就任しているが、日産の場合、ゴーン体制時代はゴーン社長が日本業界に見向きもしなかったため、日本人トップ(かつての小枝至会長・志賀俊之COO)が務めていた。

 また、ホンダは、創業者の本田宗一郎・藤沢武夫のコンビ以来、本田技術研究所出身の技術屋が社長、事務・営業屋が副社長という経営コンビが伝承されてきている。その中で、実務トップの2者に対して、ホンダの「会長」職が、自工会会長のための“特別席”になっている。例えば、宗国旨英・青木哲・池史彦ホンダ元会長は、それぞれ自工会会長を歴任している。今回も本来なら豊田会長の後に、ホンダの神子柴寿昭会長(現自工会副会長)の就任が予定されていたが、3期目の続投によりその役割は宙に浮いてしまった。また、ホンダの副会長枠も三部敏宏社長に交代することになった。

日産・ホンダは業績不振で
立ち回れず

 自工会会長として異例の3期目を決めた豊田会長が業界で強力なリーダーシップを発揮している半面で、日産とホンダは業界活動どころではない事情もある。

 日産はゴーン長期政権によるゆがみの脱却に苦心しており、これまで赤字からの業績転換に躍起となっていたことで、自工会活動から一歩引いていた実情がある。豊田会長再登板の前任の西川廣人会長が退いた後は、日産は副会長職を出すことすら辞していたのだ。

 その意味では、今回内田日産社長が自工会副会長に就くのは、日産の中で復活の道筋が見え、みそぎが済んだという認識があるということなのだろう。