『ウィニングカルチャー 勝ちぐせのある人と組織のつくり方』では、組織文化の変革方法についてまとめました。本連載では組織文化に造詣の深いキーパーソンと中竹竜二さんが対談。ともに学び合うオンライングループ「ウィニングカルチャーラボ」で実施したイベントの内容をまとめました。今回のゲストは、伝説のカウンセラーとして、経営者・ビジネスリーダーから子どもまで、幅広い人々の自己変容に寄り添う松木正さん。ネイティブ・アメリカンの儀式にも詳しい松木さんは、第一線で活躍するリーダーたちをどのように自分らしく導いているのでしょうか。(聞き手/中竹竜二、構成/添田愛沙)
■■松木さんとの対談1回目>「暗闇の中で大男が号泣! 自分らしさを取り戻すネイティブアメリカンの儀式」
■中竹さんと松木さんの対談動画はこちら>「中竹竜二×ネイティブ・アメリカンに詳しい松木正さん対談!「組織文化とあるがままの力」」
■松木さんとの対談を受けたVoicy配信>「インディアンが信じるオオカミの力とは?」、「インディアンが大切にしている生き方とは?」
松木正さん(以下、松木) 私が生活を共にしてきた平原に住むネイティブの人たちは、究極の個人主義なんです。一統率のもとにコントロールされている世界とはまったく違う。そもそもリーダーもいろいろです。部族外の人との交渉事が得意なリーダーや、地位や物事を決める政治的なリーダー、また交渉的なリーダーや政治的なリーダーが話し合って合意したことを女性の視点で意見したり最終決断を下したりする「クランマザー」というリーダー、セレモニーをする人たちの中のリーダーなど、さまざまなリーダーがいます。
生活スタイルもバラバラで、夫婦だけでキャンプをしてもいいし、大きな集団の中に何家族いてもいい。いつくっついても、いつ離れてもいい。その人が、これが自分の人生だと選んだことに対して、誰も何も言わないし、気にしないんです。
中竹竜二さん(以下、中竹) 我々が言うところの「ルール」はない、ということですね。
松木 自然だということです。「そのようになろう」とするんですね。「カタチ」は一瞬一瞬変化していきます。
ネイティブ・アメリカンたちは、オオカミがどんな狩りをしているのか、注意深く見て、チームのあり方を学んだそうです。人とオオカミは、どちらも捕食する動物ですし、群れやチームで生きることを選んだという共通点があります。
オオカミは非常に社会性を重んじます。コミュニケーション能力も高いし、個性も尊重するし、チームワークもある。眼球の動きだけで作戦変更を伝えて、瞬時に群れのフォーメーションを変えるんです。
僕らは、このオオカミの性質にヒントを得た「ウルフキャンプ」というキャンプをやっています。自分の内なる「マニトウ」(モンスター)と対峙し、コミュニケーションと個性の尊重、チームワーク、忍耐の4つの力を高める冒険プログラムです。
「ウルフキャンプ」で大事なことは、限りなくオオカミになる、ということです。オオカミは自然で野生です。オオカミになりきることを通して、普段は自分を装ったり、思い込みや信じ込んだりして心の底に沈殿している、見ないようにしてきた感情と対峙することができます。
オオカミの世界の中で、こどももおとなもみんな、今まで気づかなかった自分を発見します。アグレッシブな自分や相手の感情を感じ取って反応する自分、光を当ててこなかった自分が自然と出てくるようになる。
例えば、「パックバトル」という尻尾取りのアクティビティでは、チーム対抗で襲ったり、襲われたりするんです。アクティビティの成果によって、獲物がゼロであれば、食事が食べられないんです。
中竹 過酷ですね。
松木 アクティビティの後は、どんなことが起こっている時に自分がどんな気持ちになるのか、どんな行動や反応を示したか、振り返る時間を用意しています。すると、今まで触れたことのない自分の感情に触れることになる。
中竹 自分が隠してきたシャドウ(闇)やコンプレックスにきちんと向き合わないと、人間はなかなか成長できませんが、それが「ウルフキャンプ」のアクティビティを通して出やすくなるんですね。
松木 その人自身が持つエッセンスに触れるには、カウンセリングやコーチング、質問を投げかけるといった方法もあります。しかし、それでもやはり、たどり着けない部分がある。人間はどうしても思考しようとするので。人間が思考から解放されるのは寝ている時だけなんです。
先住民の人たちは、夢をとても大事にしています。ラコタの7つの聖なる儀式の一つに「ビジョンクエスト」、夢を求めて泣くというセレモニーがあります。僕も何度もやっていますが、一人で山に上がって、四日四晩、飲まず食わずで過ごすという、なかなか過酷な体験なんです。
このセレモニーは、「自分がなぜこの世に生まれてきたのか」という魂の目的を知るために行います。山に上がったらまず、祈るための結界を張って、地面にセージを敷き詰めて、祭壇を設えます。
二股の木を立てて、そこにイーグルの羽を結び付けて、赤いフェルトを敷く。バッファーローの干し肉(ワスナ)を供えて、最後は祭壇にナイフを突き刺します。このナイフは避雷針代わりになります。用を足すとき以外はそこにずっといるんですけど、不思議なことに、動物たちは結界の中に入って来ないんです。
風雨からは逃げられないし、雷が鳴って雹が降ってくることもある。一瞬にして気温が40度くらい下がる。そんな中で、身体をさらして体力が消耗していくと、だんだん現実と夢の境がなくなっていくんです。ただ祈り、ただ受け入れるしかない。
その中で僕はある時、雷のスピリット(精霊)に「靴を作れ」と言われました。下山して、町に戻ったらあるクラフト作家が美しいモカシンをくれたんです。「靴=エッジを超えて一歩を踏み出す」ということだ、と僕は直感しました。
その一歩を踏み出せない人のためのセレモニーやプログラムを作って手助けしていくことが、自分のこれからの仕事だということが分かったんですね。
並行世界というかな、意識が違うレイヤーの世界がある。こちら側が思考の世界だとして、向こうの違う意識の世界に入ることができるとすれば、その方法は「夢中になる」ということだと思っています。「夢中になる」というのは、思考ではなく感覚に根ざすこと。それは、ほぼ夢を見ているときの状態に近い。
中竹 別のレイヤーに意識を置くことで、今まで培ってきた成功体験や自分の価値を、痛みを伴いながらも、一旦崩してみましょう、ということでしょうか。
松木 そうです。これが自分なんだと思っているものを一度壊して、新しい自分を生み出していく想像力を発見するということです。これが「死と再生」です。
中竹 「セレモニー」を使わないとその領域、エッジになかなか辿り着けないですね。
松木 セレモニーはその中でも最もパワフルな方法です。コーチングやカウンセリングより大仕掛けです。
中竹 僕は英国留学中に専攻していたのは文化人類学です。アフリカの儀式もパワフルでした。セレモニー(儀式)って、場所と時間を区切って行う人間のコミュニケーションの本質なんですよね。
松木 ある種の「祭り」とも言えます。布の縫い方の一つに「まつり縫い」というのがありますよね。あの「まつり」は、分離したものをもう一度繋ぎ合わしていく、という意味です。だから、祭りというのは、人、自然、神様を再びつなげて統合していくんですね。
中竹 ラグビーのオールブラックスも儀式を重視しています。大きな儀式から、細かな祈りまで、たくさん持っています。すごい組織は、そういう日常と非日常を行ったり来たりするような時間をずっと守り続けていますね。