半導体・電池・EV 台湾が最強の理由#1Photo:SOPA images/gettyimages

今や世界の半導体産業で最重要企業となった、台湾のTSMC。その創業者の張忠謀(モリス・チャン)氏が、TSMCと台湾の勃興の理由から日本の半導体メーカーの没落の理由までを語り尽くした。台湾の有力経済メディア、「財訊」とのコラボレーションによる特集『半導体・電池・EV 台湾が最強の理由』(全6回)の#1では、半導体のゴッドファーザーのロングインタビューをお届けする。(台湾「財訊」 林宏達、林苑卿、翻訳・再編集/ダイヤモンド編集部副編集長 杉本りうこ)

TSMC創業者が喝破する
日の丸半導体が没落した理由

 張氏がTSMCを創業したのは意外に遅く、50代半ばのことだ。それ以前のキャリアの大半は、半導体メーカーの草分けの一つである米テキサス・インスツルメンツ(TI)で築かれた。このTIで張氏は、半導体事業を統括するバイスプレジデントに上り詰めた後に台湾の半導体産業育成とTSMC創業に転じた。インタビューはこのTIでの経験を振り返るところから始まった。

――在籍していた当時、TIは半導体売り上げで世界トップに君臨していました。それが後に米インテルに逆転されてしまうわけですが、転機は何だったのでしょうか。

 TIは1972年に、致命的なミスを犯しました。すなわち、「半導体はもはや成熟産業であり、今後大幅な成長は難しい」と考え、個人消費者向け製品を経営の主軸に据えたことです。これがインテルに逆転される上での大きな要素となりました。

 インテルは68年に設立されました。この企業を、私はTIの半導体事業を統括する立場になったとき(72年)に最大のライバルと目していました。その理由は技術です。

 インテルはロバート・ノイス氏、ゴードン・ムーア氏らによって創業されました。この2人はどちらも米フェアチャイルド・セミコンダクターの出身であり、このフェアチャイルドこそがTIの強力なライバルだったからです。また当時のインテルは、スタートアップである強みを生かし、ストックオプションの制度で優れた技術人材を引き付けていました。

――では日本はどうでしょうか。日本は80年代に世界の半導体産業をけん引していたのに、衰退してしまいました。