そもそも、何のための議論?

苫野:欲望-関心相関性の原理」という、私の師匠の竹田青嗣が現象学を発展させて出した原理があります。

 簡単にいえば、私たちの認識や信念は、欲望や関心に相関的に編まれているということです。

 例えば、目の前の水は、喉が渇いていれば飲み水として認識され、火事が起これば、消火のための水という意味を持つ。私たちの認識の一切は、欲望-関心相関的なんですね。

 とすると、例えば相手が「論破モード」できた時に、「そのモードになる背景の欲望や関心は何ですか?」と問うことも有効です。

 ただ自分が優位に立ちたいだけなら、議論する意味はあまりありません。

 でも、議論を通して問題を解決したいという関心がお互いにあるなら、「論破」ではなく、より良いアイデアを一緒に考え合っていくことができますね。

星:なるほど。例えば、相手が論破しにきた場合は、自分の意見の根拠を説明したうえで、相手の根拠や前提、元々の欲求・関心を突いてみるといった使い方ができますね。

苫野:その時に、「共通の関心」を見出すことができればいっそう建設的になりますね。

 今の「論破ゲーム」にはそこがない。

 ただお互いの主張を通すだけになってしまっていて、そもそもの議論の目的、議論を通して何をしたいのかを明確に共有していないから、常にすれ違ってしまう。

 ですから、建設的な議論や対話においては、「共通の関心」を見出そうとすることがとても大事です。

星:整理すると、相手が論破してきた時に、「どのようにいなして建設的な議論に持っていくか」という視点と、もう一つは「そもそもこの議論ってなんだろう」と改めて考える視点がすごく重要ですよね。

 そのほかに、建設的な議論をするために、何に気をつけるべきでしょうか。