資本主義の腐食をもたらした「毒入り貨幣」の正体インフレも「毒入り貨幣」の解毒剤とはならない? Photo:REUTERS/AFLO

『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の著者ヤニス・バルファキス元ギリシャ財務相による連載。今回のテーマは、資本主義の腐食です。金融危機以降、特にコロナ禍の間、主要国の政治家や中央銀行が処方してきた政策は、いわば「毒入り貨幣」の大量供給であり、資本主義を粉飾された停滞に追い込んだと筆者は指摘します。

 資本主義は、価値があるのに価格がついていなかったものを片っ端から商品化し、価値と価格の間に鋭い楔(くさび)を打ち込むことで、世界を征服した。同じことが、貨幣に対しても行われた。

 かつて貨幣の交換価値とは、ある金額の現金の支払いに対して、人々が価値あるものを引き渡す覚悟をどの程度持っているかを常に反映していた。だが資本主義のもとで、そしてキリスト教が融資の対価を請求する発想を容認したことにより、貨幣は市場価格を持つようになった。それが「金利」、すなわち一定期間、ある量の現金を貸すことの価格である。

 2008年の金融危機の後、そして特にコロナ禍の間、奇妙なことが起こった。貨幣の交換価値は(インフレによる毀損はあるものの)維持されたが、その価格、つまり金利は暴落し、多くの場合はマイナスになった。政治家や中央銀行は、うかつにも「人類の外在化(疎外)された能力」(カール・マルクスによる貨幣の詩的な定義)を毒していたのだ。

 彼らが処方した毒とは、欧州と米国における2008年以降の政策、すなわち「少数のための社会主義を支えるための、多数に対する苛烈な緊縮財政」である。

 緊縮財政は、まさに民間支出が急激に減少する中で、公共支出を減らしてしまった。それによって民間・公的部門の支出の合計(つまりは国民所得)の減少も加速した。資本主義のもとでは、貸し手(大半は多額の貯蓄を持つ富裕層)が貸したいと思うだけの巨額の貨幣を借りる力があるのは、ビッグビジネス(巨大企業)だけである。だからこそ貨幣の価格は2008年以降に暴落した。貨幣への需要は干上がってしまった。(ビッグビジネスに対する)貨幣の供給が膨らんだにもかかわらず、ビッグビジネスは、投資の中断という形で、緊縮政策が需要に与えた破滅的な影響に対応したからである。

 山ほどジャガイモがあるのに、その時点での価格では誰も買いたいと思わない場合と同じように、資金需要が貸し出し可能な量を下回れば、貨幣の価格(金利)は低下する。だが、ここには決定的な違いがある。ジャガイモの価格が急落すれば供給過剰の問題はすぐさま解決するが、貨幣の価格が急落した場合は逆の現象が生じる。

 投資家は、より安上がりに資金を借りられるようになったことを喜ぶのではなく、こう考える。「これほどの金利低下を放置するということは、中央銀行は事態が深刻だと考えているに違いない。金利ゼロで借りられるとしても、投資はやめておこう」と。中央銀行が貨幣の公定価格を大幅に引き下げても、投資は回復しなかった。そして貨幣の価格は下がり続け、ついにはマイナスの領域に達した。

 それは奇妙な状況だった。マイナスの価格が意味を持つのは、「財(goods)」に対してではなく、「害(bads)」に対して、である。例えば、ある工場が有害な廃棄物を除去したいときには、工場はそれに対してマイナスの価格を請求する。つまり工場経営者は、「害」を除去してもらうために誰かにお金を払う。だが自動車メーカーが使用済みの硫酸を、原子力発電所が放射性物質を含む汚染水を扱うように、中央銀行が貨幣を扱い始めたとすれば、この金融資本主義の王国で何かが腐っていることは自明である。