「幸せ」というのは、いくらくんでも尽きることのない泉のようなものなのかもしれません。それは、人に分け与えることで生じます。お金はなくても、できることはいろいろあります。仏教の「無財の七施」を知ることで、豊かな心を手に入れましょう。(解説/僧侶 江田智昭)
お金がなくても 「幸せ」は分かち合える
今回の言葉「幸せは分け与えてもなくならない」は、中国語に訳された最初のお経といわれる『仏説四十二章経(しじゅうにしょうぎょう)』に由来しています。
数千百人おのおのが炬(たいまつ)を持って来たり、その火を分け取りて、食を熟(た)き、冥(暗さ)を除くも、彼の火は故(もと)のごとくあるが如し。福もまた之の如し。
これはつまり、「数千百人がたいまつの火を分け、食を炊いたり、暗さを除くことに使っても、元の種火が減ってなくなることがないように、幸せはいくら分け与えても減ってなくなることはない」ということを意味しています。
ここでは「幸せ」という言葉が出てきますが、お釈迦さまにとっての「幸せ」とは一体何なのでしょうか? 『スッタニパータ』という経典に「こよなき幸せ」という章があり、その中でお釈迦さまが「人生の幸福」について語られています。
その章は、「何をすることがこよなき(この上ない)幸せである」という形式でまとめられており、「飲酒をつつしむ」「愚者に親しまない」「妻子を愛し、護(まも)ること」「耐え忍ぶこと」「ことばのやさしいこと」など、さまざまな「こよなき幸せ」の条件が提示されています。
そして、その条件の一つとして、「施与(せよ)」という言葉が出てきます。この「施与」について、仏教学の大家であった中村元氏は、訳書『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)で、以下の解説を行っていました。
贈与と言いかえてもよい。物質的なものでもあってもよいし、精神的、無形のものであってもかまわないが、他の人々に何ものかを与えることによって、人々を助けることができるのである。“自分のものだ”と言ってにぎりしめるのではなく、他人に何かを与えるところに人生の深い喜びがあるのではないだろうか。
このように「施与(贈与=布施)」が「こよなき幸せ」の大切な条件になっているのです。「施与」という事を考える時に、私たちは金銭や物質的なものを連想しがちですが、中村元氏のおっしゃるように、それは精神的、無形のものでもかまいません。
仏教にはお金のかからないお布施(無財の七施)というものがあり、その中には、優しいまなざしを施す「眼施(げんせ)」、笑顔を施す「和顔施(わげんせ)」、優しい言葉を掛ける「言辞施(ごんじせ)」などが挙げられています。
ですから、日常生活の中で周囲の人たちに常にニコニコした表情で優しく接してあげることも立派なお布施であり、そのようなお布施をどんなに施したところで何かが減ることはありません。それによって、周りの人々も幸せな気持ちになり、そこから喜びが生まれてきます。
お金をあまり持っていないので、他者に「施与」できないと思うのではなく、こういった精神的・無形なものを「施与」することによって得られる幸せが存在することに気付くことが仏教的には大切なのです。
最後に、「輝け!お寺の掲示板大賞2020」で「まいてら賞」を受賞した作品の言葉を紹介させていただきます。
豊かだから施すのではない。施すから豊かになるのだ。(広島県・超覚寺)