たとえば、高校時代にサッカー部で頑張ったのに結局卒業するまで一度もレギュラーになれなかった、だから高校時代のことは思い出したくないし、サッカーのことを考えると嫌な気分になるから、テレビでもサッカーの試合は見ないようにしているという人がいる。

 一方で、同じように高校時代にサッカー部で頑張っても結局卒業するまで一度もレギュラーになれなかった、しかしくさることなく最後まで必死に練習してきた高校時代の自分を誇らしく思うし、今もサッカーが大好きで、テレビで放映される試合はたいてい見ているという人もいる。

 ここから分かるのは、「サッカー部で頑張ったが、結局最後までレギュラーになれなかった高校時代」という事実に対して、どんな意味づけをするかが重要な意味を持つということである。

「消してしまいたい過去」がある場合、それは意味づけの仕方がまずいわけである。その意味づけの仕方を工夫し、一見、ネガティブな出来事にもポジティブな意味づけができるようになれば、「消してしまいたい過去」はなくなっていくはずだ。

ネガティブな出来事にポジティブな意味を見出す

 どんなときも前向きに力強く生きている人は、ポジティブな出来事の記憶を支えにしつつ、ネガティブな出来事からも今後の人生に生かせる何かを学ぶことができる。そのようにネガティブな記憶を整理している。幸せな出来事ばかりに恵まれてきたから前向きなのではない。さまざまな出来事の記憶への対処の仕方を身につけているから前向きになれるのだ。

「あの人は、何の苦労もない幸せな境遇に育ったから、すくすくと健康に生きられるのだ。すべてが調和した境遇を生きてきたから、自分を信じて強気で前進できる。自分みたいに苦労と挫折の連続だと、あんなに前向きになれない」

 などと言われることがある一方で、

「あの人のように、厳しい境遇をくぐり抜けてきた人は強い。どんな逆境でも立ち向かっていく力強さが感じられる。自分みたいに恵まれた環境に甘んじて生きてきた人間には、あのような強さはない」

 などと、同じ人に対して逆の言い分を耳にすることがある。