人間は誕生する国を選んで生まれてくることはできません。これから未知の人口減少社会を経験する日本で、高齢者を支える働き手として生きることを余儀なくされる若者にとって、この国にうまれたことが幸運と思えるかどうかは疑問符がつきます。日本以外でも、その国に生まれたからというだけで、貧困、紛争、分断などさまざまな難題にいやおうなく巻き込まれてしまうのです。世界の2022年、世界人口は80億人を突破したと国連が発表しました。70億人からわずか11年、このまま人間が増えると、環境問題、食料問題をはじめ「地球は大丈夫なのか?」と懸念する声にあふれています。このアンバランスをどう考えればいいのでしょうか?『米国防総省・人口統計コンサルタントの 人類超長期予測』(ジェニファー・D・シュバ著、ダイヤモンド社刊)を刊行したばかりの、世界の人口統計学の権威の見方を紹介します。(訳:栗木さつき)

人口と経済発展Photo: Adobe Stock

繋栄と混乱を人口推移が左右していた

 世界の人口推移の多様化は、私たちが理解しなければならない難題が山積していることを意味している。地域によっては、人口急増により人口圧が高まっているうえに、劣悪な統治、内戦、環境破壊が相まって、すでに生活が成り立たなくなっている。せいぜい、平和な未来への希望がかすかに見えるだけだ。こうして、ある地域で生活できなくなった人が増えれば、地球の反対側の諸国までもが難民やテロ組織の過激化という形で影響を受ける。

 コンゴ民主共和国では人口が年に3%以上の割合で増加を続けているものの、国民1人当たりGDP(国内総生産)はわずか580ドルにすぎない。汚職がはびこり、人権侵害が横行し、とくに東部と南部の州では武装グループが暴力行為を煽(あお)っている。こうした状況によって少年兵が利用され、難民や国内避難民が生じている。9000万人近い人口を抱えるコンゴ民主共和国は、2019年だけで167万人が難民または避難民となった。

 同様に高い増加率で人口が増え続けているソマリアの若者にとって、働きがいのある仕事を見つけるのはまず無理だ。その結果、アル・シャバーブといった国内のテロ組織が自暴自棄になった若者を囲い込み、メンバーを増やしていくだろう。

 サハラ以南のアフリカだけが、急速な人口増加のさなかで悪戦苦闘しているわけではない。中央アジアのアフガニスタンの人口は、アメリカの侵攻が始まった2001年には2100万人だったが、2020年には3890万人へと激増している―85%も増加しているのだ。このような急激な人口増加という重圧のなかで、はたしてアフガニスタンは平和を見いだすことができるのだろうか。

 人口の増加それ自体は悪くはないのだが、大勢の人々を受け入れる余裕が教育システムを含む体制、あるいは経済にないのであれば、社会全体に負荷がかかる。するとアフガニスタンの人々は苦しみ、アフガニスタンの平和と繁栄に関心を持つ国々は失望することになる。信じがたいことだが、アメリカ軍が駐留していたアフガニスタンで生まれた最初の世代の女性は、いま、出産する年齢に達している。こうした若い母親たちは、紛争と軍服姿の外国人兵士以外に何も知らない。そうなればほぼ間違いなく、そのトラウマを欧米と結び付けて考えるようになり、そうした心の傷が癒(い)えるには何世代もかかるだろう。

 また、西側諸国の軍隊は無人偵察機による攻撃をイエメンで実行し、アルカイダ系戦闘員を数人殺害したと胸を張っているが、その一方で日々、3000人の新生児が誕生し、貧しい暮らしを余儀なくされている。さらにイエメンの人々は銃だけでなく、病原菌からも身を守らねばならない。というのも、1日5000人もがコレラに感染しているのだ。このように武力衝突と医療危機に見舞われ、混乱が続くイエメンには、やはり出生率の高いほかの数十ヵ国と同様、人口統計学的に見れば暗澹(あんたん)とした未来が待ち受けているとしか思えない。

 人口の推移は今後起こる世界の大変動を教えてくれるだけではなく、繁栄と平和についても道筋を示している。

 東アジアでは、1960年代から1990年代にかけて出生率が急激に低下し、家庭も政府も子どもの扶養にそれほど財源を割かずにすむようになり、若者の数が減ったぶん、企業は労働者にボーナスを支払えるようになり、1人当たりの収入も増加した。経済学者たちの分析によれば、この期間に東アジア諸国が急速に経済成長を遂げた「東アジアの奇跡」の33~44%は、人口転換の影響を受けている。

 人口構造の変化により、民主化の動きがもたらされることもある。2011年のアラブの春に至るまでの数年のあいだに、チュニジアの人口の年齢構造は、1990年代半ばの韓国や台湾と似た特徴を帯び始めた。2010年、チュニジアの全成人に対する若者の割合は高く、1993年の韓国とまったく同じで、中位数年齢もほぼ同じだった。

 チュニジアで起こった革命と民主化は、人口の年齢構造が似ていた頃にアジアのいくつかの国で生じた政治的変化とよく似ていた。今日の韓国では民主主義が根付き、国も繁栄している。同様に、チュニジアもまた「自由」社会の国と考えられているが、その実態は、かろうじて自由を維持しているというところだ。だが政治人口学者たちは、このまま低い出生率が続けば年齢構造が成熟し、チュニジアは民主主義が芽生えた国にありがちなデコボコ道を経由して、周辺国で前例がないなか、平和で繁栄する民主国家へと変貌を遂げるのではないかと期待している。

 チュニジアと韓国に類似点がある一方、エジプトのホスニ・ムバラク元大統領が指摘したように、エジプトと韓国の人口動態がたどる運命においては、当然ではあるものの著しい対比がある。2008年6月9日、エジプトで開催された第2回国家人口会議でムバラクは演説を行い、1960年にエジプトと韓国の人口がどちらも約2600万人だった頃と比べると、両国がたどる道筋が大きく乖離(かいり)したと述べ、家族計画の必要性を訴えた。

 というのも、2008年に、韓国の人口は4800万人になっていたが、エジプトの人口は1960年の3倍以上に増え、8000万人に達していたのである。韓国が経済発展を遂げ、繁栄していたのに対し、エジプトは人口と財源の不均衡に苦しんでおり、人口増加が経済成長を妨げているうえ社会不安を引き起こしていると、ムバラクは指摘した。