まず、加藤孝太郎(新4年生)で1勝すること。加藤は先発投手として安定感を増してきた。来季、加藤に背番号11を託したい。11番は右腕投手のエースナンバーだ。
「そのためには慶応に勝っておくこと。早慶戦で勝ち星を挙げていないピッチャーに11は渡せない」との思いである。
1回戦に先発した加藤は慶応の猛攻をしぶとくしのぎ、7回と3分の2を投げて防御率を1.41とし、最優秀防御率のタイトルを獲得した。
そう、22年秋のタイトルをチームにもたらすことも、チームの幸せのためと小宮山は考えた。
問題は打撃成績。「首位打者」だ。
この秋、思い切りの良いバットスイングで気を吐いた松木大芽(4年)に、なんとしても首位打者を取らせたいのである。
松木は早慶戦に臨む時点で、打率4割超。卓抜な打撃成績ではあるものの、最終的に規定打席に到達するかどうかが微妙なのだった。東京六大学の規定は「試合数×3.1」。結果として早稲田は慶応に連勝したので、試合数10、規定打席は31だ。
松木は期待に応えて躍動し、連勝に貢献した。1回戦は5打数2安打2打点。9回裏、殊勲のサヨナラヒットを放つ。そして2回戦、小宮山監督は松木を1番打者に置く。絶好調であることに加えて、打席数を稼がせたい。3回戦にもつれ込まないとすれば、松木の首位打者獲得には6打席が必要だった。
1回表、早稲田の攻撃。松木は初球をレフト前に弾き返す。前日のサヨナラ打から打ち気が連なっている。早稲田は初回に4点。慶応も粘りをみせたものの、15安打を放った早稲田の勝利となった。
試合中盤のことである。早稲田打線は開幕からの湿ったバットが嘘のように機能して、つながりをみせた。このまま行けば松木の「6打席」が現実味を帯びてくる。
このときのベンチでのことを、小宮山は振り返る。
「行けると思った。それで、隣にいる日野(愛郎)部長に声をかけてしまった。6打席、行けますよ、と」
これを、小宮山は悔やむのである。
彼の豊富な経験則にはセオリーなどの合理を超えたものもある。その一つが「試合中に浮かれてはならない」。自軍の勝利が見えてたとえ胸が躍ったとしても、その気持ちを決して言葉にしてはいけない――。
野球の神様はいる。「奇跡は、ほとんど最後に起こる。」という今秋の東京六大学リーグのキャッチコピーも神を想起させる。野球の神様は懸命さと謙虚さを好む。その機嫌を損ねるようなまねは慎むべきだ、ということである。
9回表の攻撃は4番から。松木はここまで5打席。1番までつながるかどうか。早稲田打線はしぶとく食らいつき、守備陣のエラーも絡んで8番まで回った。松木まで、あともう少しだ。
そこまでだった。
早慶戦2回戦、松木は5打数2安打。今季の打席数は30。打率.440。首位打者獲得まで1打席、足りなかった。
「松木はよく練習した。練習でも誰よりもバットを振った。タイトルを取らせたかった」
監督はしみじみと語った。首位打者の名誉は東京六大学野球の歴史に永遠に刻まれる。そのことはかなわなかった。だが、記録に残らずとも今季の松木の躍動は瞠目(どうもく)すべきものだったのである。
小宮山監督が引き出した
選手たちの決意
来季、小宮山監督はナンバー30番を背負って5年目を迎える。主将は森田朝陽。副将は熊田任洋。