『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の“勇気シリーズ”が世界1000万部を突破した。特筆すべきは、欧米圏での部数が約230万部に達することだ。その立役者とも言えるのが、著作権エージェントであるタトル・モリ エイジェンシーの玉置真波さん。
エージェントの主な仕事は、海外と日本の出版物をそれぞれ編集者に紹介し、適切なルートで翻訳版を読者に届けること。タトルは“勇気シリーズ”海外展開において、アジア数ヵ国を除くすべての国の版権を担当し、文字通り世界中に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を広めてきた。
英語圏での翻訳実現という高いハードルへの挑戦を語っていただいた前編に続き、後編では各国からの反応や、なぜいま“勇気シリーズ”が世界中でこれほど多くの人に読まれたのかを玉置さんにうかがった。(構成/田中裕子)
英語版の実現で一気に世界へ
──前編でお話しいただいた大変なプロセスを経て、ついにオーストラリアでの出版が決まったとき、玉置さんはどのような思いでしたか?
玉置真波(以下、玉置) 「最高!」って思いました。英語圏ですし、オーストラリアはイギリス連邦の加盟国なので、ヨーロッパにも展開できる未来が見えたんです。Allen & Unwinという信頼できる出版社だったことも大きかったですね。実際、同社がこの本に賭けて大きく打ち出してくださった結果、世界展開の大きな一歩を踏み出せましたので。
オーストラリアの後は、ドイツ、ルーマニア、クロアチア、ロシア、オランダと、順調にオファーが続いていきました。これらの国のほとんどは、英語版から各国言語に翻訳しますので、やはり英語版が出ることが極めて重要なんです。
著作権仲介エージェント
慶應義塾大学法学部卒業後、1993年に株式会社タトル・モリ エイジェンシーに入社。現在は同社取締役。主に欧米事業、ノンフィクションを担当。版権を取り扱った主な書籍は『「静かな人」の戦略書』『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』『限りある時間の使い方』『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』『GRITやり抜く力』『チーズはどこへ消えた?』など。
インドだけで6言語のオファー
──現在の出版の状況を教えていただけますか?
玉置 弊社の扱いでは、現在(2022年12月)34言語の各国版の契約が成立し、そのうち24言語の各国版がすでに出版されています。おもしろいのが、これからインド国内で6つの言語が出版されることです。
──インド国内だけで6言語……? なぜでしょう?
玉置 もともとインドでは、イギリス版(英語)が出版されていました。その出版社のインド支社がプロモーションを仕掛け、インドのインフルエンサーに本を送ってPRしてもらったらしいんですね。その影響もあってかインドで英語版が9万9000部を突破。それを読んだ方たちが他の公認言語でも読みたいということで、インドの6つの言語での契約が決まったんです(ヒンディー語、タミル語、マラーティー語、テルグ語、マラヤーラム語、グジャラート語)。インドには20以上もの公認の言語があるそうですよ。
各国からの反応
玉置 主な国や言語での部数は【表1】のとおりです。各国からは次のような報告もいただいています。
インドネシア:『嫌われる勇気』がベストセラーとなり社会現象に。翻訳を出した出版社としても初めて日本のノンフィクション作品がベストセラーになった。
ドイツ:『嫌われる勇気』が67万部突破。73週間ベストセラートップ10入り。67万部中オーディオブックが約30万部というのはオーディオブック先進国であるドイツならでは。
イギリス:大手新聞「ガーディアン」に書評掲載。Amazonレビューは8000超。ファッション誌「マリ・クレール」の「2018年ベストセルフヘルプブックス」にも選出。
トルコ:担当編集者曰く「いままで編集したなかでいちばんすばらしい作品」。
モンゴル:人口340万人ながら、2万部突破。
ちなみにアメリカ版のオファーは2017年10月でした。欧州より少し遅かったものの、現在では20万部超のヒットとなっています。2018年には、カリスマ的なベンチャーキャピタリストであるマーク・アンドリーセン氏が「ストア哲学×アドラー心理学×ソクラテス対話の手法」「最初から最後まですばらしい」とツイッターで大絶賛してくれたおかげで、シリコンバレー界隈の人に一気に広まったのが印象深かったですね。
時代にもフィットした
日本発「岸見アドラー心理学」の教え
──なぜ、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』はこれほどまでに世界中で受け入れられていると思いますか?
玉置 もちろん内容の良さが第一ですが、あくまで私の考えとして二つめをあげるなら、2001年9月のアメリカ同時多発テロから、世界的に価値観の揺らぎが生まれたことも影響しているように思います。リーマンショックやユーロ危機による景気後退、トランプ大統領の就任……信じていたものが失われ、見えていなかったさまざまな問題が明らかになった。「このままでいいのか」と自信を失い、足元がグラグラになったのでしょう。
多くの人がパラダイムシフトを求めるようになったのは、売れている本の傾向からも見てとれます。2014年には近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』が欧米で大ヒットし始め、2016年からは世界中で北欧の「ヒュッゲ(健康的で居心地の良い雰囲気を大切にするライフスタイル)」がブームになりました。同じころ、スペイン人ジャーリストが『IKIGAI』という本を書き、アメリカではストア哲学の本が大ベストセラーになっています。
こうした動きは、苦難に直面している人々が、新しい思想や古典に学んで自分らしい生き方や価値観を求めた結果と言えるでしょう。海外から見れば日本はまさに「違う価値観」を持っている異文化の国ですから、その意味では日本発の岸見アドラー心理学を説いた『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は待ち望まれたものだったのかもしれません。
──なるほど。タイミングもよかったんですね。
玉置 ええ。あともう一つ、タイトルの強さも大きいと思います。内面的な葛藤に対して「勇気」という言葉を用いるのは英語圏でも衝撃だったようで、読者のなかには「タイトル買いした」という方もとても多いんです。英語版タイトルは "The Courage To Be Disliked" "The Courage to be Happy" と直訳ですが、国によってタイトルに多少改変があってもニュアンスはほぼ踏襲されていますね。たとえばドイツ語版『嫌われる勇気』は、「だれにでも好かれる必要はない──自分に正直でいる勇気(Du musst nicht von allen gemocht werden: Vom Mut, sich nicht zu verbiegen)」というように、サブタイトルに「勇気」を使っています。
レビューでいうと、「繰り返し読んだ」もよく目に入ります。「(紙、電子、オーディオブックなど)すべてのフォーマットで8回読んだ」という人もいました(笑)。「人生が変わった」「啓発された」「考えさせられた」などは万国共通ですし、「はじめて本を通読できた」という感想もありましたね。
──けっしてページ数が少ない本ではないのに、それはすごいですね。ただ、たくさんの国や地域で出版されると、クオリティなどに目が行き届かなくなる心配はありませんか?
玉置 相手のクリエイティビティや文化、プロフェッショナリズムを尊重し、信頼して託す──これが版権ライセンスのベースにあるマインドです。各国の翻訳出版のプロフェッショナルは原書を忠実に再現しつつ、いかに自国の読者に届けるのか、表紙やタイトルや打ち出し方に腕をふるいます。ですので『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』も、権利者の皆さんのご理解を得ながら、タイトルや装丁は基本的に現地版元におまかせしています。だからこそ思いもよらないものが見られておもしろいんですよ。
──お話を伺って、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の世界1000万部突破に、タトルさんや玉置さんが素晴らしい貢献をされたことがよくわかりました。
玉置 新しい知識や思想、フレームワークを取り入れ、社会の文脈づくりに貢献するのがノンフィクションの役割だと私は考えています。これまでは海外から、日本にとって一歩先にある知見を届けることに使命を感じていました。ですが今後は、日本からの発信でも新しい文脈やパラダイム作りに貢献できると感じています。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は、まさにその力がある本だった。そんな素晴らしい本をチームジャパンで担当できて、とても誇らしい気持ちです。
(終わり)