さらに、憲法9条の存在が、日本を「かつて侵略戦争を起こした、ならず者国家」の地位におとしめたままにしている側面もある(第235回・p4)。
自国を縛り付ける法律を自ら制定しないと、侵略行為を抑止できない「未熟な国」であることを、他国に知らしめていることになるからだ。
実際に、先の大戦で過ちを犯した日本で憲法9条が撤廃されれば、再び「ならず者国家」に戻るのではないかと、近隣諸国や国内の左派勢力から疑われてきた経緯もある。
こうした状況を踏まえると、憲法9条を撤廃した上で、その理念を変わらず実践し、「平和国家」であり続けたとき、初めて日本は「ならず者国家」のレッテルから脱け出せるという見方もできる。
安全保障政策とは、他国に日本を攻める気をなくさせることが目的だ。そのために必要な兵器をそろえるものの、一切使わないことが重要だ。言い換えれば、安全保障政策は、兵器を使うことになったら失敗である。
他国が絶対に「日本を侵略しよう」と思えないほどの安全保障体制を整える。その上で、どんなに困難な国際紛争に直面しても、知恵を振り絞り、ありとあらゆる手段を用いて、外交交渉で問題解決する姿勢を貫き続ける。
この覚悟ある姿勢を何十年も続けることができれば、日本はかつてのイメージを払拭し、「シビリアンコントロールの利いた平和国家」としての国際的地位を確立できるはずだ。
こうした見方ができるからこそ、岸田首相は「敵基地攻撃能力を保持しているが、それは専守防衛だ」という言葉遊びはやめるべきだ。
敵基地攻撃能力を本当に保持したいならば、国民を真摯(しんし)な姿勢で説得し、改憲論議に踏み込むのも、重要な選択肢ではないだろうか。
その覚悟を持たないだけでなく、消費増税の議論からも目を背け、税率や実施時期を曖昧にしたまま、防衛増税を打ち出すのはいかがなものだろうか。
政治家だけでなく
国民が「信頼ある姿勢」を取ることも重要
一方で、現状を変えるには、国民が「信頼ある姿勢」を取ることも重要だ。
先ほど「政治家は国民を信頼していない」と述べたが、これは政治家に100%の非があるわけではない。政治に対して勉強不足なまま、政治家の失言などに過敏に反応する国民が一定数存在することも事実である。
政治家が安全保障・改憲論議を真正面から行おうというとき、国民がそれを感情的に否定するような姿勢を示すと、政治家は議論から逃げてしまうだろう。
だからこそ、国民の側も政治家に信頼される姿勢を取り、政治家が議論に徹底的に向き合える状況を作るべきである。