政治家が持っている
「国民への不信感」の正体とは

 日本では、よく「国民が政治を信頼していない」といわれる。だが、私は逆だと考えてきた。むしろ、「政治家が国民を全く信頼していない」のが、日本政治の特徴だと私はみている(本連載の前身「政局LIVEアナリティクス」の第65回)。

 例えば、日本の政界には、今も「利益誘導」の風習が色濃く残っている。選挙で票を得るために、支持者に便宜を図る風習である。

 安倍晋三元首相の政権期に問題となった「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」をはじめ、安倍元首相の殺害事件を機に取り沙汰された「政治家と旧統一教会の関係」も、突き詰めれば集票のための利益誘導が根底にある。

 政治家がこうした施策に必死になるのは、本音では「政策を打ち出すだけでは国民は理解してくれず、集票につながらない」と考えているからではないか。

「どうせ国民は理解してくれない」と不信感を持っているからこそ、昨今の政治家の一部は、増税などの財政改革や規制緩和、そして安全保障政策などの重要課題に、腰を据えて中長期的な観点で取り組めていない印象だ。

 そのため、選挙のたびに改革は中断され、景気対策を優先した補正予算が組まれ、補助金がばらまかれてきた(第106回)。

 そして、この「国民への不信」からくる「ばらまき」は、政策の効果を薄れさせる結果をもたらしてきた。

 例えば、かつての安倍政権は、5%から8%、8%から10%に税率を上げる2度の消費増税を実行した。国民から不人気になるリスクを負いながらも、重要な政策を2度も実行したことは稀有な例であり、高く評価したいと思う。

 だが、消費増税の直後、安倍元首相は消費増税後の景気下支えを理由に、約5兆円規模の経済対策をまとめ、19年度補正予算と20年度予算に盛り込んだ。その結果、消費増税を実施しても、結局財政再建はますます遠ざかった。

 安全保障政策に話を戻すと、この政策は増税以上に、政治家にとって扱いにくい問題だ。

「憲法9条」の改正を巡る「護憲派」と「改憲派」の間の激しい対立がある中で、憲法改正に触れないわけにはいかないからだ(第59回)。