大企業正社員、医師などの高級専門職、官僚、政治家はいったんメンバーになったら仲間内で保護し合う日本的縁故主義とでも呼ぶべきシステムに組み込まれる(2)。この時点で日本は資本主義的なダイナミズムから大きく遠ざかっている。
ところが、非正規労働者や下層正社員は、「取り替え可能な商品」のように扱われて低賃金でかつ雇用が不安定な、まごうかたなき資本主義下の労働者だ。彼らの賃金水準は、かつてマルクスが考えた「次世代の労働力を含めて明日の労働力を再生産するコスト」以下にとどまっており、マルクスの想定以上に苛烈な「ブラック資本主義」とでも呼ぶべきシステムの支配下にある(3)。子ども2人を育てられる賃金ではない世帯が少なくない。
ところで、世間では「資本主義の限界」を語ることが時々はやる。その中で、もっともらしく聞こえるけれども間違った意見の典型として、資本主義は成長のフロンティアを失うと維持できないとするものがある。
投下される資本の量は機会(環境と技術に依存する)に応じて調節されるので、資本主義は低成長やマイナス成長でも維持可能だ。リスクに見合うもうけがないと判断された場合、利潤は資本として投下されず、株主に返されて消費されるだけのことだ(4)。例えば、自社株買いについて考えてみるといい。
ところで、「新しい資本主義」の検討会議の資料にあるように、新自由主義は格差拡大や環境問題などの問題をはらんだものの、先進国の経済成長に一定の役割を果たした。過去30年、元は先進国であった日本がほとんど成長できなかったのは、日本には新自由主義がなかったからだ、と考えるのが自然だ(5)。
日本経済では上層の停滞と、下層の拡大による利潤追求の結果として、上層のメンバーが下層に滑り落ちる動きが起こっている。現象としては、中間層の崩壊として表れている(6)。
筆者は、上層の活性化とその成果の国による大規模な再分配が求めるべき解だと思っているが、「上層の活性化」への道は遠い。