日銀がついに2022年12月20日野金融政策決定会合で、事実上の金利引き上げに踏み切った。これは金融政策正常化への一歩となるのか。元日本銀行金融研究所所長で、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』などの著書もある翁邦雄氏の寄稿を2回に分けてお届けする。
急激な円安の進行が一段落するなか、日銀の黒田総裁は出口の議論は時期尚早と位置づけ、粘り強く金融緩和を続けることをひたすら標榜してきた。しかし、12月20日の金融政策決定会合で、日銀は、YCC(イールドカーブ・コントロール)の手直しという名目で事実上の金利引き上げに踏み切った。
日銀の金融政策の中核にあるYCC
1951年東京生まれ。1974年東京大学経済学部を卒業し日本銀行入行。1983年シカゴ大学Ph. D.取得(経済学)、筑波大学社会工学系助教授、日本銀行金融研究所長、京都大学公共政策大学院教授などを経て、現在―大妻女子大学特任教授、京都大学公共政策大学院名誉フェロー。専攻は国際経済学、金融論。著書に『期待と投機の経済分析――「バブル」現象と為替レート』(東洋経済新報社、日経・経済図書文化賞受賞)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社)、『金融政策のフロンティア――国際的潮流と非伝統的政策』(日本評論社)、『日本銀行』(ちくま新書)、『経済の大転換と日本銀行』(岩波書店、石橋湛山賞受賞)、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』(ダイヤモンド社)など。最新刊は、『人の心に働きかける経済政策』(岩波新書)。
これは、金融政策正常化への適切な第一歩なのだろうか。以下では「金融政策の正常化」について、現在の金融政策の中核をなしているYCCからの脱却に論点を絞る。
むろん、現在の日本の金融政策にはYCC以外にも他の先進国に例をみない緊急避難的な枠組みが混在する。例えば、日銀による民間企業の株式の大量取得だ。これは資本主義の根幹を揺るがしかねない要素をはらむ。ETFを介して日銀が大量に購入してきた株式をどう処理するかは、国債によるバランスシートの水膨れ対応よりも格段に難しい。国債には満期があり、満期が到来するとバランスシートから落ちるが、株式は満期がないからだ。このため、株式はいつまでも日銀のバランスシートにとどまり続ける。何もしなければ、中央銀行が多くの企業の大株主だったり、筆頭株主だったりし続ける、というおよそ社会主義国家のような事態が続く。
それをどう解消していくのか、というのも大きな問題だ。こうした問題の存在は出口の議論を複雑にしているが、金融政策の根幹であるYCC解除とはいちおう切り離せる問題なので、本稿では取り上げない。
中国のゼロコロナ政策と酷似したYCCの弊害
ところで、YCCの方は、なぜ解除が難しいのだろうか。それは、YCCが中国のゼロコロナ政策と類似の問題を引き起こしているからだ。
中国は、コロナの感染拡大という差し迫った脅威・リスクなどを理由に、特定の都市や地域で自由な外出や移動を厳しく制限してきた。同様に、YCCのもとで、政策金利である翌日物だけでなく、本来は市場の経済観に応じて自由に金利が形成されるべき10年物の国債金利も日銀が固定してきた。YCCは、中国がゼロコロナ政策で人流の感染拡大の影響を抑え込んだように財政拡大の金利への影響などを抑え込んできた。
中国のゼロコロナ政策の厳格な行動制限は、当初、大成功した、と喧伝された。その成功の幻想の下で医療体制の整備は立ち遅れ、欧米の先進型のmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン導入や接種など、国民のコロナ感染への耐性強化といった課題は先送りされた。だが、厳格な行動制限は永続化するほどひずみが拡大する。それが極限に達した結果、習近平政権のゼロコロナ政策は破綻した。感染力の強いオミクロン株が蔓延するなか、これまでの厳格な行動制限は人民の忍耐の限界を超えたため持続困難になり、中国政府はオミクロン株の弱毒性をもちだしてゼロコロナ政策を撤廃した。
中国政府はゼロコロナ政策をなぜもっと早く解除できなかったのか。これまでの政策の帰結として、中国国民は有効なワクチン接種も十分な集団免疫のいずれも達成されていない。そうした状況下でゼロコロナ政策を打ち切れば、感染者数・死亡者数が激増する。現に、そうなりつつあるようだ。中国で、新型コロナとの闘いがいつ・どのように終わるかは、現時点では誰にもわからない。
YCCによる行動制限長期化の弊害
日本で、YCCからの離脱と正常化はいずれ必要と認識されながら、日銀がその方向に舵を切れなかった事情も類似している。2年間の短期決戦であったはずの異次元緩和は、当初は大歓迎された。他方で、2%の物価目標は達成される気配がなく、長期戦となるなかで、YCCへ形を変えた。しかし、この異形の金融政策は、日本の課題を解決することなくむしろ日本衰退につながった。
たしかに、超低金利により、ゾンビ企業も含めて多くの企業が倒産を免れたことで大規模な失業は発生しなかった。だが、生き延びることを主眼とした企業経営のもとで生産性は伸び悩み、先進国の中でほぼ日本だけ賃金が上がらず非正規雇用が増えるなど雇用の質は低下し、非正規雇用の労働者を中心に、将来所得への不確実性と不安も高まった。日本の多くの企業は、ひたすら行動制限だけを続けて感染に脆弱になった国の市民に近い。他方、財政はほぼゼロの利払コストを前提としてバラまきに傾斜し、ワイズ・スペンディングの意識は希薄化した。日本経済に新陳代謝や市場経済のダイナミズムを取り戻すためには、金融市場に市場機能を回復させることは不可欠だ。
YCC解除により金利のオーバーシュートが起きるリスク
しかし、中国のゼロコロナ解除が感染の急拡大を招きつつあるのと同様、YCCからの不用意な離脱は、10年物金利を急騰させかねず、大きな混乱を招きかねない。日銀のYCC同様、3年物金利にターゲットを設定していたオーストラリア連銀(RBA)は、2021年11月に3年物金利についての目標(YT)を解除したが、その過程で市場の混乱を招き、オーストラリア連銀は、その名声(reputation)も大きなダメージを被った。健全な財政運営や経済の新陳代謝には適正なプラスの金利が必要だとしても、ゼロ金利を所与の条件として生き延びてきた多くの企業を急激な金利上昇にさらせば、実体経済を大きく動揺させかねない。このようにYCCは中国のゼロコロナ政策と同様のジレンマを抱えている。
それでは、今回のYCCの修正は金融政策正常化への適切な第一歩になるのだろうか。(明日公開の次稿へつづく)