日銀がついに2022年12月20日野金融政策決定会合で、事実上の金利引き上げに踏み切った。これは金融政策正常化への一歩となるのか。元日本銀行金融研究所所長で、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』などの著書もある翁邦雄氏による寄稿の後編をお届けする。
前編:【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀のYCC解除はなぜ「必要だが困難」なのか
固定相場解除の内外の事例
これまでのYCCは、「10年物金利の固定」という要素と、その固定金利水準をゼロ近傍に設定する「超低金利政策」という2つの要素からなっていた。
黒田総裁は、これまで「粘り強く金融緩和を続ける」と「出口の議論は時期尚早」の2つを常套句にしてきた。これは出口をぎりぎりまで先に延ばし、どうしても金利を上げざるを得なくなった局面で金利を上げることになる。こうしたかたちでYCCを離脱すれば、金利の上昇圧力がきわめて強いときに、金利形成を自由化することになるから、金利に大きなオーバーシュートが発生するなど金融市場が混乱する蓋然性は高い。
オーストラリア連銀のYT解除のときにもそうした現象が起きた。為替相場についても固定相場制を放棄して変動相場制に移行する際に混乱が生じる大きな理由は、維持不能になるギリギリまで政策当局がそれまでの固定相場を維持しようとする傾向があること、そのために固定相場制に対する大きな調整圧力が蓄積されていること、による。こうした混乱は古くは1971年の日本の固定相場制(1ドル360円)からの離脱、近年では、スイスの無制限介入による対ユーロ固定相場制の放棄(2011年)などでも観察されている。
金利固定解除のベスト・タイミングは?
1951年東京生まれ。1974年東京大学経済学部を卒業し日本銀行入行。1983年シカゴ大学Ph. D.取得(経済学)、筑波大学社会工学系助教授、日本銀行金融研究所長、京都大学公共政策大学院教授などを経て、現在―大妻女子大学特任教授、京都大学公共政策大学院名誉フェロー。専攻は国際経済学、金融論。著書に『期待と投機の経済分析――「バブル」現象と為替レート』(東洋経済新報社、日経・経済図書文化賞受賞)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社)、『金融政策のフロンティア――国際的潮流と非伝統的政策』(日本評論社)、『日本銀行』(ちくま新書)、『経済の大転換と日本銀行』(岩波書店、石橋湛山賞受賞)、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』(ダイヤモンド社)など。最新刊は、『人の心に働きかける経済政策』(岩波新書)。
この点を踏まえるとYCCの2つの要素を切り離し、金利水準の調整の必要のないときに金利固定を放棄し、そのあと政策金利水準を変更させるほうがよいことが分かる。
オーストラリア連銀も日銀のYCCと類似のYT解除の反省として、この政策はもっと早期に、例えば市場金利と目標金利がほぼ同水準であった2021年の早めの時期に終了させても良かった、と総括している。つまり、市場の実勢金利がYCCに近い状態、あるいはむしろ追加緩和期待があるようなときに金利固定の呪縛を解くことが望ましい、といえるだろう。
「緩和政策に変更がない」のに金利が上がる理由
これらの点を踏まえて、12月20日の決定会合の「YCCの手直し」の内容を検討しよう。日銀の金融市場調節方針についての決定の骨格は、①現状維持(金利目標は変えない)、②YCCの運用について一部見直す、というものだ。
具体的には、国債買入れ額を大幅に増やしつつ、長期金利の変動幅を従来の±0.25%程度から±0.5%程度に拡大、0.5%の利回りでの指値オペを原則毎営業日実施、さらに、金融市場調節方針と整合的なイールドカーブの形成を促すため、各年限において、機動的に、買入れ額の更なる増額や指値オペを実施する、とした。
円安は一服して政策の手直しは相対的にしやすいタイミングだった。そこで政策変更を行った点は、評価できる。しかし、それでも10年物金利は上昇した。これは、市場の実勢金利がYCCに近い状態ではなかったことによる。長期金利の変動幅拡大、というと金利が上下に動くイメージだが、実際には日銀が強引に10年物金利を低位に固定していた状況での変動幅拡大という措置の効果は、金利が張り付く水準が0.25%から0.5%に上がるだけであり、より自由に変動するわけではない。このため、黒田総裁が金利政策に変更がないと強調したにもかかわらず、「日銀、事実上の利上げ」と報道され金利水準の修正が今回の措置の眼目となった。
金利の固定を強化したYCC手直し
他方、黒田総裁は記者会見で「これはイールドカーブ・コントロールをやめるとか、あるいは出口というようなものでは全くありません」と述べた。実際、YCCの手直しは金利の固定範囲を拡大し、イールドカーブ全体へのロックダウンを強化する、という措置になっていた。
YCCの枠組み変更の理由について、日銀は、イールドカーブの歪みを挙げた。これは、10年物を無理に抑え込んでいる結果、イールドカーブの10年物が不自然に凹んでいることによる弊害を問題視したとみられる。この懸念から、日銀は変動幅拡大という名目で10年物金利を引き上げた。それだけでなく、これと同時に、2年、5年、20年の新発国債を対象に、指定した利回りで無制限に買い入れる「指し値オペ」を実施する、とした。つまり、日銀は、翌日物金利、10年物金利だけでなく、利回り曲線の主要点にまで金利固定の戦線を拡大する措置を選んだことになる。
こうしてみると、金融政策正常化の第一歩との評価も見られる今回の措置だが、「金利水準正常化」への第一歩ではあっても、「金利形成の正常化」からはかえって遠のいていることがわかる。
金融政策正常化の前に共同声明の再確認が必要
いずれにせよ、金融政策の本格的正常化はやはり来春の新執行部発足後になるだろう。
その場合、新たな金融政策の出発点は、内閣府、財務省、日銀の連名で2013年1月に公表された「デフレ脱却と持続的な成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について(共同声明)」を引き継ぐのか、改定するのか、という点にあるのではないだろうか。実際、一部で共同声明の改定を政府が検討している、という報道が流れている。
しかし、共同声明は当時の安倍総理やその後の黒田総裁が喧伝したような「日銀が2%の目標達成にコミットした」ものではない。共同声明の実際の内容はこうした理解とは大きな隔たりがあり、機械的な2%のインフレ目標追求からはむしろ距離を置き、政府も成長力強化や財政の健全化努力を謳った内容になっているからだ。
いずれにせよ、共同声明はあくまでも「その時点の」政府と日銀の連携である。金融政策を決めるのはその時々の日銀政策委員会メンバー、財政・経済政策を決めるのは、その時々の政府である以上、執行部が代われば、あらためて共同声明の精神を受け継ぐのか、何らかの見直しを行うのかという吟味が必要とならざるを得ないはずである。
共同声明の内容
具体的に共同声明をみると、「日本銀行は、今後、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展に伴い持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていくと認識している。この認識に立って、日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価上昇率の前年比上昇率で2%とする」とし、「日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展」が2%達成の条件とされている。
また、「その際、日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」とされており、日銀は2%を絶対的な道標とするのではなく、持続的な成長を脅かす可能性のある様々な動き、とりわけ金融の不均衡(金融システムの不安定化リスク)など他の指標をにらみながら総合的視点で金融政策運営を行う、としている。
この間、「政府は(中略)日本経済の競争力と成長力の強化に向けた取組を具体化し、これを強力に推進する。」、「政府は、日本銀行との連携強化にあたり、財政運営に対する信認を確保する観点から、持続可能な財政構造を確立するための取組を具体化し、これを強力に推進する。」とされており、政府自身も課題への取り組むことを表明している。
共同声明の扱いについての選択肢
このように「共同声明」はおよそ日銀が片務的に2%物価目標を機械的に追求することを謳った文書ではなく、日銀と政府が連携しておのおのが果たすべき役割を明確に述べたものになっている。それだけに、その改定は喫緊の課題とは言えないとしても、日銀も、政府も、共同声明で謳われた課題にどう取り組んできたかを総括することには大きな意味があるだろう。そのうえで、現在の共同声明の文字通りの内容を政府・日銀が明示的に再確認し継承するのか、それとも、その後10年の経験を踏まえ、これになんらかの改定を加えるのか、は重要な選択肢になるだろう。
個人的には、2%の物価目標を機械的に追求することを謳った文書ではないことを踏まえたうえで、日銀だけでなく政府サイドも取り組むべき課題を再確認すること、そのうえで日銀は経済情勢をにらみながら市場機能を回復させる金利形成の正常化に舵をきっていくことが望ましい、と考えている。