計画外を待ちわびる「創造的な態度」
現実にいきなり「かたち」をぶつけて何かを学び取ることは、子どもの頃なら誰もが日常的にやっていたと思います。波打ち際で砂の城を作ったり、風もないのにたこを飛ばそうとして走り回ったりした覚えはないでしょうか? 試作としてのプロトタイプともいえない「未完成の何か」を、まず現実にぶつけてみて、そこで起こることを体感してみる。幼稚なようですが、デザイナーはひたすらこれを繰り返しています。
一方、いわゆる「ビジネス」の世界では、リスクを避けるため、あるいは説明責任を果たすために、計画に計画以上の独立した完成度を求め過ぎてはいないでしょうか。すると、どうしても、頭の中で考えたことや、そこから組み立てた計画が偏重されがちです。インターネットでたいていのことが検索できることも「つくる」がショートカットされやすい理由でしょう。
しかし、「未知」は検索できません。検索可能な情報だけを見ていると「誰かが過去にやった結果」の枠から抜け出せない……。事前計画にプライオリティーを置き、計画外の事象に対して全て失敗の判を押すのも、論理の内部に結果を押し込めようという内向きの姿勢のように感じます。失敗は避けるべきものとなり、さらに計画のコントロールを強めてしまう。これでは創造から遠ざかるばかりです。
明らかに失敗だと誰もが思った状況を「面白い……」と言い出し、そこからあっと驚く成果を作り出す偉大なデザイナーの姿を、何度となく目撃してきました。そんな計画外の事象を面白がれる人々は「創造的な人」だと思います。デザイナーでも、サイエンティストでも、常にあっと驚く新しいものを生み出している人は、「未知とのコンタクト」を待ちわびて、手を動かし続けています。これは、センスや才能というより、一種のマインドセットであり、姿勢です。
情報が薄く、人為的なコントロールの及ばない領域でこそ、未知への回路が開きます。ここで「計画の外側」からやって来る事象に耳を澄ませることで、コンセプトはアップデートされていく……。既知と未知を融合させて、新しい何かを生み出す力は、本来どんな人にも備わっているはずです。身体感覚を手掛かりにしながら、論理の枠を飛び出していくために──。「つくる」ことを軸に、より創造的な態度で世界と向き合っていくことが、求められているように思います。