「一般の人たちに医療情報をやさしく伝えたい」。SNSで情報発信を続ける有志の医師4人(アカウント名、大塚篤司外科医けいゆうほむほむ@アレルギー専門医病理医ヤンデル)を中心にした「SNS医療のカタチ」。2022年8月「SNS医療のカタチ2022~医療の分断を考える~」というオンラインイベントが開催された。
生まれてから死ぬまで、どんな形であれ「医療」というものに関わらない人は一人としていないだろう。にもかかわらず、わたしたちと「医療」の間には多くの「分断」が存在する。そしてその「分断」は、医療を受ける人にも医療を提供する人にも大きな不利益をもたらすことがある。今ある「分断」をやさしく埋めていくために、また、「分断」の存在そのものにやさしく目を向けるために必要なこととはーー。イベントの模様を連載でお届けする。最終回は、イベントの参加者全員でそもそも「分断とは何か」を語り合った。(構成:高松夕佳/編集:田畑博文)

【SNS医療のカタチ・トークセッション】全員集合でふりかえり「分断とはなにか」Photo: Adobe Stock

まともな入口はわずか2割

浅生鴨(以下、浅生):このセッションのテーマは、最近新聞・雑誌・ネットでよく耳にする「分断」です。皆さんでお話ししながら、医療分野における分断解消へのヒントが見えればと思っています。よろしくお願いします。

 大塚先生や堀向先生の皮膚アレルギー治療の現場では、ステロイドを使う派/使わない派の間で対立がありますし、山本先生の現場では、がんの標準治療をめぐって大きな分断が生じている。最近ではワクチンをめぐっても、お互いが許し合わないような、議論さえ起きない状況があると思うのですが、山本先生どうですか。

山本健人(以下、山本):私たちが医療現場で接するのは、基本的に病院や医師を信頼して来てくださっている患者さんたちなので、病院内で分断を感じることはありません。病院外、つまりSNSやテレビ番組などで意見の対立を目にすると、ああ、実際にはこういう分断がたくさんあるんだなと実感します。だからこそ、このように外に出てきてしゃべっているわけですが。

大塚篤司(以下、大塚):僕もマスメディアによる間違った医療情報による分断を日々感じていますが、先ほどの「生老病死」についてのセッションを通して、僕が最も分断を感じていたのは生と死だったことに気づきました。生と死の分断をどう乗り越えていくかを議論したのがあのセッションだった。

 中でも吉村和尚がおっしゃった「語る仏教から聞く仏教へ」という言葉が、大きなヒントになると思いました。分断とは、両者の間に交流が失われている状態です。コミュニケーションが一方通行ではなくキャッチボールにならなければ、分断は解消されないのだと。

 僕らの『やさしい医療』の活動は「人に優しく」と「易しい言葉で」の意味を込めて名付けましたが、何かを伝えるときに「やさしい」は大きな武器になるし、聞く際にもプラスになるだろうと改めて感じています。

分断解消の鍵は、「待つこと」

浅生:昇洋さん、最近の仏教界に「聞く仏教」が生まれてきたのはなぜでしょうか。

吉村昇洋(以下、吉村):檀信徒の方々と距離を感じるようになったからだと思います。従来は相手の悩みをさわりだけ聞いて、「そういう場合にはお釈迦さまはこう言っていますよ」と、処方箋のようにお釈迦さまの説を話していた。

 言葉の表面だけをとって、意図が汲み取れていないから、信徒さんの心に響かなかった。信徒さんも最初から悩みの深い部分を口にしたりはしませんが、僧侶に浅い理解から答えを出されることで失望し、それ以上言えなくなってしまう。

 お釈迦さまご自身は、相手の苦しみの本質までちゃんと捉えられていました。例えばこんな話があります。あるとき弟子のキサーゴータミーが「息子が亡くなって苦しい、どうか生き返らせてください」と相談すると、お釈迦さまは「わかりました。

 では、死者を1人も出していない家からケシの実をもらってきてください。そうしたら生き返らせてあげましょう」とお答えになった。キサーゴータミーは一軒一軒回って、死者を出したことのない家を探すのですが、そんな家はどこにもありません。そこで彼女は「ああ、死者を出したことのない家などいない。人は必ず死ぬのだ」と無常を悟ります。

 ここで大事なのは、お釈迦さまが答えを出していないことです。答えは本人に出させている。相手の話をまずは聞いて、それ以上は言わない。これがお釈迦さまの説法のあり方なのです。

浅生:今のお釈迦さまの逸話は、堀向先生が講演の中でおっしゃった、「エビデンスを種として展示していこうとしている」という話と似ている気がしますが、いかがですか。

堀向健太(以下、堀向):おっしゃる通りです。人間はそれぞれ個性があり、本来分離されているはずです。それは分断ではなく分離の状態です。

 僕ら医者は職業柄、医学の言葉を使って考えてその場で決断し、物事をゆるく括ることに慣れています。でも一般の方たちは、そうではありません。

 コロナ禍で、すさまじい勢いで医学・化学用語が飛び交うようになり、それらの用語を使って物事がどんどん分類され始めたために、慣れている人/慣れていない人の間に分離が起きてしまったのではないでしょうか。

 今の和尚のお話を聞いて、慣れていない方たちに対しては情報をとりあえず置いておいて、受け入れられるまで待つ時間も必要なんだろうなと感じました。戸惑っている人たちが言葉に慣れ、自分で選択する余裕を持てるようになれば、次第に行動変容も起きていくかもしれません。