分断はネットが可視化した

浅生:たらればさんは、医学の専門家ではないのに、なぜ皆さんが発信する言葉を信じようと思えるんでしょうか。

たられば:完全にインターネットとSNSのおかげです。僕がここでこうしてお医者さんたちの活動をお手伝いしているのも、SNSとインターネットがあるからですし。

 かつてはお医者さんというのは自分の体のことを自分より知っている存在で、お医者さんに聞けばいつでも正しい情報にアクセスできるという幻想を、多くの人が抱いていました。それがネットやSNSの普及により、医者にできることには限界があるとはっきりしてしまった。

 もともとあったけれど暗くて見えていなかった溝が、パッと灯りが点いたことで明らかになり、「分断がある、なんとかしなくちゃ」と戸惑っている。今はそういう状況のような気がします。

浅生:しかし聞く耳を持たない人、話をする気のない人たちから話を聞くのは難しいですよね。

山本:そうですね。議論というのは、相手の意見を聞くことで自分の意見を変える準備ができている人としか成立しませんから、聞く耳を持たない人たちとの分断を埋めるのは非常に難しいことです。

 でもそこにあえてアプローチしようと頑張っている人もいて、その言葉の強さが余計に分断を可視化し、閉塞感を生む側面もあり、難しく思います。

核心の共有には人間関係が必要

浅生:昇洋さんは、話す気がない相手からも話を聞くことってできますか?

吉村:私はあまり経験がありませんが、スクールカウンセラーの人はそれをやっていますよね。先生は「カウンセラーさんに話しなさい」と期待して連れてくるけど、生徒本人は「話すわけないじゃん、別に困ってねえし」となっていますから(笑)。

 そんなときカウンセラーは、その話には基本触れず、本人がしゃべりたくなるまで別の話をしたりします。すると、生徒は大抵面食らいますよね。「え、あの話しなくていいの?」と。「ああ、全然いいよ」という感じで対応していると、次第に人間関係が生まれてくる。物事の核心を共有するには、まず人間関係の構築が必要なのです。

 分断が起きるのは、正義と正義がぶつかるとき。お互いが自分の正しさを押しつけるばかりで、相手の話を聞く姿勢ができていないから、溝ができてしまう。まずは聞く姿勢を作っていくしかないと思います。