健康になろうとすると出てくる厄介な考え方の癖⑤「楽しいから大丈夫」―直感的な判断(Affect Heuristic・アフェクト ヒューリスティック)

「人は合理的ではない、感情的な生きもの」という認識は、一般的にも広まってきているのではないかと思います。

 アフェクト ヒューリスティックというのは、感情や直感的な判断により物事を決めたり、行動したりすることをいいます。

 色々な情報を集めて合理的に何かを判断するのとは逆に、十分な情報がないまま、直感的にどう感じているかで素早く判断をすることです。精神的な近道という意味で「メンタル ショートカット(mental shortcut)」とも呼ばれています。

 アフェクト ヒューリスティックについては、様々な研究が行われていますが、対象の物事に対して好意的な感情を持っている場合、リスクを低く見積もることがわかっています(*66)。逆に、物事に対して良い感情を持っていない場合、リスクをより敏感に感じて警戒する傾向にあります。

 例えば、ある実験では、原発のような比較的新しい技術に対して、数字やデータなどの情報は与えず、「得られるものが多い・利益になる」という情報のみを伝えました。すると、人はポジティブな感情を持ち、リスクを低く見積もりました。

 この実験で重要なポイントは、その技術が引き起こすリスクについては何も情報を与えなかったことです。それにもかかわらず、参加者は「利益」について情報を得ると、何も知らないはずのリスクに関して、「リスクは低い」と勝手に見積もり、判断しました。

 逆に「得られるものが少ない・利益は低い」という情報を与えると、ネガティブな感情を持ち、結果的にリスクを高く見積もる傾向が報告されました(*1,13)。

 また、健康分野の研究でも、たばこへのポジティブな感情を抱かせるような広告を見ると、リスクを低く見積もるようになったり(*14,15)、喫煙者は非喫煙者よりも禁煙のリスクを低く見積もることがわかっています(*15-19)。

 つまり、その事柄に対し、ポジティブかネガティブな感情を持っているかで、リスクの見積もりが変わってしまうのです(*66,74,75)。例えば、まだ感染症流行中に、会食がリスクだとしても、それが友人との会食の場合、ポジティブな気持ちを抱くために、リスクを低く見積もって大丈夫だと思ってしまうのもその例でしょう。

 健康の分野で特にこの「感情的、かつ直感的な」判断が問題なのは、これによりリスクの認識を誤るからです。だいたい、健康に良くないものは、「楽しい」「面白い」「気持ちがいい」「おいしい」などのポジティブな感情や快感、刺激を与えるものが多いです。たばこ、過度の飲酒、甘いものや刺激的な食べ物、ドラッグ、コンドームなしの性行為……、挙げればきりがありません(*13)。また、そのような分野の商品の広告もポジティブな感情を想起させるものがほとんどです。

 厄介なのは、健康に良くない行動を初めて行う時、人はそもそも健康のリスクをそんなに深く考えず「なんとなく」や「その場のノリで」始めることが多いこと。

 私が過去に仕事で携わった、国立がん研究センターの研究で大学生の喫煙者に行ったインタビュー調査でも、最初の喫煙経験について、「たばこを吸うぞ!」と計画して吸った人や、リスクと利益を考慮して吸ったという人はいませんでした。「なんとなくいいと思って」という人が多かったのです(*20)。

 それでも、あとでリスクについて学べば行動は変えられるだろう、と思われるかもしれません。しかし、そう簡単にはいきません。喫煙者は、たばこ中毒になったり、喫煙が日常的になってから健康へのリスクについて理解する(しかしその時にはやめることが難しくなっている)ことが報告されています(*21)。

 もともとリスクに対して深く考えていない状態で始めた健康の悪習慣は、こういった行為に抱く楽しい、気持ちがいいなどのポジティブな感情を与えられることで、本来の「危険」への認識が、さらに薄まっていきます。結果的にやめるのがとても難しくなってしまうのです。

 このように、健康の習慣づくりは、人間という生きものの特性上、ハードルがたくさんあります。ですので、無防備に意志の力だけでなんとかしようと思うことは、よっぽど意志の強い人でも難しいことが多いのです。世界中の多くの成功例や不成功例を参考にして、効率よく達成できる確率を上げましょう。それが、エビデンスを活用して健康習慣を身につける近道です。

【参考文献】

*1 Roberto CA, Kawachi I. Behavioral economics and public health. Oxford, U.K.: Oxford University Press; 2015.
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*6 Finkelstein SR, Fishbach A. When healthy food makes you hungry. J Consum Res. 2010;37(3):357-67.
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*9 Murphy J, Vallières F, Bentall RP, Shevlin M, McBride O, Hartman TK, et al. Psychological characteristics associated with COVID-19 vaccine hesitancy and resistance in Ireland and the United Kingdom. Nat Commun. 2021;12(1):29.
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*19 Weinstein ND, Slovic P, Gibson G. Accuracy and optimism in smokers' beliefs about quitting. Nicotine Tob Res. 2004;6 Suppl 3:S375-80.
*20 溝田 友里, 藤野 雅弘, 山本 精一郎. コミュニケーション戦略としての科学的根拠に基づくがん予防・がん検診受診の推進. 医療と社会. 2020;30(3):321-38.
*21 Slovic P, Finucane ML, Peters E, MacGregor DG. Risk as analysis and risk as feelings: some thoughts about affect, reason, risk, and rationality. Risk Anal. 2004;24(2):311-22.

(本原稿は、林英恵著『健康になる技術 大全』から一部抜粋・修正して構成したものです)

【健康になろうとすると出てくる厄介な考え方】どうして「やめろと言われると、やってみたくなる」のか?林 英恵(はやし・はなえ)
パブリックヘルスストラテジスト・公衆衛生学者(行動科学・ヘルスコミュニケーション・社会疫学)、Down to Earth 株式会社代表取締役、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート特任准教授、東京大学・東京医科歯科大学非常勤講師
1979年千葉県生まれ。2004年早稲田大学社会科学部卒業、2006年ボストン大学教育大学院修士課程修了、2012年ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程を経て、2016年同大学院社会行動科学部にて博士号取得(Doctor of Science:科学博士・同学部の博士号取得は日本人女性初)。専門は、行動科学・ヘルスコミュニケーション、および社会疫学。一人でも多くの人が与えられた寿命を幸せに全うできる社会を作ることが使命。様々な国で健康づくりに携わる中で、多くの人たちが、健康法は知っていても習慣づける方法を知らないため、やめたい悪習慣をたちきり、身につけたい健康法を実践することができないことを痛感する。長きにわたって頼りになる「健康習慣の身につけ方」を科学的に説いた日本人向けの本を書きたいと思い、『健康になる技術 大全」を執筆した。
2007年から2020年まで、外資系広告会社であるマッキャンヘルスで戦略プランナーとして本社ニューヨーク・ロンドン・東京にて勤務。ニューヨークでの勤務中に博士号を取得。東京ではパブリックヘルス部門を立ち上げ、マッキャンパブリックヘルス・アジアパシフィックディレクターとして勤務後、独立。2020年、Down to Earth(ダウン トゥー アース)株式会社を設立。社名は英語で「実践的な、親しみやすい」という意味で、学問と実践の世界を繋ぐことを意図している。現在は、国際機関や国、自治体、企業などに対し、健康に関する戦略・事業開発、コンサルティングを行い、学術研究なども行っている。加えて、個人の行動変容をサポートするためのライフスタイルブランドの設立準備中。2018年、アメリカのジョン・ロックフェラー3世が設立したアジアソサエティ(本部・ニューヨーク)が選ぶ、アジア太平洋地域のヤングリーダー“Asia 21 Young Leaders”に選出。また、2020年、アメリカのアイゼンハワー元大統領によるアイゼンハワー財団(本部・フィラデルフィア)が手がける、世界の女性リーダー“Global Women’s Leadership Fellow”に唯一の日本人として選ばれる。両組織において、現在もフェローとして国際的な活動を続ける。
『命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業』(小学館)をプロデュース。著書に、『健康になる技術 大全」(ダイヤモンド社)、『それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと』(あさ出版)がある。
https://hanahayashi.com/