修行とは
修行とは、他人にいわれて為すことではない。自分の為すべきことを、自分でわきまえて、身をもって為すことだ。そういう命がけの営みを、もしジャマするものがいるとすれば、それは自分以外にはない。
自分の生きかたにこそ用心しなければならない。一心不乱に修行することが、毒になるのも、薬になるのも、自分の生きかた次第だ。
理不尽さえも薬に変える
「修行しろ」といわれ、いわれたとおり修行する。そんなものは修行じゃない。修行すればするほど毒が全身にまわり、かならず命を落とす羽目になる。
仕事もいっしょだろう。上司に「あれをやれ」といわれ、みずから考えずにやるようでは、そんなものは自分の仕事ではない。すでに痛みを感じているかもしれないし、そうでなくてもそのうちきっと痛い目にあう。
理不尽なことをいってくる上司の言葉を毒にするのも、薬にするのも、自分の受けとめかた次第だ。
上司のいってくることを、ただ鵜呑みにするだけの自分は、自分にとって毒蛇になっている。もし失敗して、「いわれたとおりにやっただけです」と言い訳しても救いはない。
人生とは、どの一瞬を切りとっても、自分の人生である。バイトのシフトを代わってもらうように、自分の人生を他人に生きてもらうことはできない。
この当たり前のことが「わかる」かどうかは、ひとえに自分にかかっている。自分でわかるべき自分の生きかたが、他人にわかるはずはない。
本人に「わかりません」といわれてしまっては、他人としても「わしにもわからん」としかいいようがない。
山田史生(やまだ・ふみお)
中国思想研究者/弘前大学教育学部教授
1959年、福井県生まれ。東北大学文学部卒業。同大学大学院修了。博士(文学)。専門は中国古典の思想、哲学。趣味は囲碁。特技は尺八。妻がひとり。娘がひとり。
著書に『日曜日に読む「荘子」』『下から目線で読む「孫子」』(以上、ちくま新書)、『受験生のための一夜漬け漢文教室』(ちくまプリマー新書)、『門無き門より入れ 精読「無門関」』(大蔵出版)、『中国古典「名言 200」』(三笠書房)、『脱世間のすすめ 漢文に学ぶもう少し楽に生きるヒント』(祥伝社)、『もしも老子に出会ったら』『絶望しそうになったら道元を読め!』『はじめての「禅問答」』(以上、光文社新書)、『全訳論語』『禅問答100撰』(以上、東京堂出版)、『龐居士の語録 さあこい!禅問答』(東方書店)など。