20年前は「容認、正当化」されていた体罰
最近でも体罰は完全になくなることはなく、校則の厳しさなどはむしろ昔よりも激しいのではないかと感じるほどだが、一方で体罰に比較的寛容だった昔とは違うことも確かだろう。
今の40代以上が義務教育を受けていた頃は、今では信じられないほど体罰が横行していたし、また正当化されていた。
1980年代に「校内暴力」といえば生徒が学校で暴れたり、教師に対して暴力を振るうことだった。これに対抗するために教師が生徒に体罰を行うことはある程度容認されていた。
筆者の中学校時代を振り返っても、体育教師が竹刀を持って校内を歩いていたし(さすがにそれを使う場面は見たことがないが、威嚇には使っていたと記憶する)、人気のある教師が「必要であれば殴る。それを間違っているとは思わない」と語っていたことを覚えている。教師が感情に任せて怒鳴り散らす、という光景も一度ならず見た。
松尾氏も過去の教師の暴力を語っているが、このような思いを全くしたことがないという人の方が少ないのではないだろうか。
筆者が考えるのは、このような過去の被害と、それが嫌だったから変えた方がいいという表明を、それぞれの立場からもう少し行ったほうがよいのではないかということだ。
例えば、いじめについては、過去のいじめ経験を著名人らが語り、呼びかけることは珍しくなくなっている。被害を語ることは加害者への告発の面だけで捉えられがちだが、そうではなく社会全体の変化を促すための一歩でもある。