天才の勉強法には再現性がない

──お話を伺っていると、特別な方法を求めるのではなく、当たり前の体験の積み重ねが大事なんですね。

富永:天才に憧れる気持ちはわかりますが、天才のやり方を真似しようとしても再現性があるわけではありません。

 受験勉強にはウサギとカメがいると思っていたら、トリもいたと気づいた。

 そんなときに、自分とは違うんだからマネはできないと割り切って、自分に合ったやり方を模索することも大事です。

 成績を効率よく伸ばすには、あまり先の結果を意識するのではなく、壁にぶつかったらその都度修正していくというくらいがいいのかも知れませんね。

 そういう意味でも、修正の材料となる失敗は歓迎すべきだと思うんですよ。

 失敗は次の成功のためのチャンスと捉えられたら、その時点で勝ちです。

西岡:東大生に「満点取ったらすごく落ち込む」というやつがいましたよ。

 テストは自分ができないところを探す手段なのに、それが見つからなかった。自分の成長ポイントが一つも見つからないなんて、せっかくテストを受けた1時間が無駄だったというのです。

 彼と友だちになれるかどうかは別として、言っていることは真理ですね。

 学校や塾のテストは、決められた点数を取ることが目的ではない。自分がどのくらいのところにいるかを認識するためのものです。

「今ここにいるのか」とわかればいいのであって、「なんでE判定なの」と親が怒るのは意味がわかりません。

子どもの受験を成功させるために「親が絶対に知っておきたい1つのこと」『東大独学』(西岡壱誠著)

富永:勉強ができる子どもやその親は、いかに感情を排除して戦略的に作業に落とし込むかということをやっています。

 最近はスポーツ界でも「怒る指導」に対するアレルギーが強く、熱血指導者は消えつつあります。そこでは、「いかに走らないか」が考えられたりしているのです。

 それなのに勉強となると、とくに保護者に昭和の名残があって感情が前に来てしまうんです。

 難関中学だろうと東大だろうと、「受験の成功者」を神格化せずに普通のことをやればいい。

 小学生の場合で言えば、できる子ほど計算や漢字といった普通のことをちゃんとやっています。

西岡:僕は今、ナチュラルボーンではない東大生を10人くらい連れて、中高生たちと座談会をするという活動を行っています。

 参加した中高生に東大生に対する感想を聞くと、「なんか、普通の人ですね」という反応がすごく多いんです。

 僕は、昔読んだ星新一のショートショートを思い出しましたよ。

 不老不死の秘密が隠されているという宝があって、探検隊がそれを探しに行くんです。

 必死に探して「ついに見つけた」と開けてみたら、そこには「早寝早起き」と書いてあったというオチ。

「なんだよ。結局、早寝早起きかよ」という人を食った話なんですが、東大受験もこれと同じです。

【→対談第1回はこちら←】