前田利家夫人は満11歳で懐妊
戦国時代の結婚が10代半ばだった理由
一方、女性のほうの初産年齢を見ると、ダントツで早いのは、前田利家夫人のまつで13歳。つまり、満年齢にして、かつ妊娠期間を考えると満11歳の時に懐妊したことになる。この夫婦はいとこ同士で、まつは前田家に住んでいた。利家が手をつけてしまったわけだが、この年齢は当時でも非常識だった。
そのほかは、前述の前田利常夫人、その妹の松平忠直夫人(秀忠の三女)、山内忠義夫人(松平定勝の娘)が15歳。
松平広忠夫人の於大(水野家出身で家康の母)、九条忠栄夫人(完子。豊臣秀勝と浅井江の娘で淀殿の養女)、武田信玄夫人(公家の三条家の娘)が16歳。細川忠興夫人(明智光秀の夫人、ガラシャ)、後水尾天皇の中宮和子(徳川秀忠の娘)が17歳。前述の徳川信康夫人の五徳、奥平信昌夫人の亀姫、それに宇喜多秀家夫人の豪姫(前田利家の娘で豊臣秀吉の養女)が18歳である。
このあたりを見ると、満14歳から16歳くらいになって、本人の発育具合も考慮して夫婦関係が始められたことが推測できる。
戦国時代のことだから、政略結婚の成果を早く出したいとか、男のほうからすれば早く跡取りをという意欲が強いとこういう感じになる。
一方、天下太平の徳川時代になると、あまり結婚を焦らなくなり、また、将軍家でも皇室でも、恵まれた育児環境のはずなのに、子どもが無事に成長する割合が著しく低くなる。なぜなのか、いろいろな仮定は可能だが、実際のところはよく分からない。
いずれにせよ、少子化に悩む現代の日本にとって、こうした歴史も何らかのヒントを与えてくれるのではないだろうか。
(徳島文理大学教授、評論家 八幡和郎)