2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの神様Photo: Adobe Stock

「今日」という日は、
「もっとも経験を重ねた日」であり、
「もっとも未熟な日」でもある

「今日」という日は、「2つ」の特別な日が重なった日です。

 ひとつは、「もっとも経験を重ねた日、もっとも知恵がたくさんある日」です。

「今日」の私は、これまでの人生の中で最長老であり、最ベテランであり、最古参である、と言えます。

「私」という人生を振り返ったとき、「今日」の私ほど、経験を積んだ人はいません。

 その、「もっとも経験を積み、もっとも知識を持った自分」が下した判断は、その日の時点では、「すべて100%正しい」と考えることができます。

 その日の「私」の判断は、余人を持って替えられない。すべての環境や条件や状況がわかっていて、自分の人生の過去も現在もすべて知り尽くしている「私」でなければ、その判断はできなかったのです。

 半年前や1年前の判断に対して、「もっとああしておけばよかった」「こっちではなくあっちを選べばよかった」と思うこともありますが、そう思えること自体、「自分が進歩・向上している証」にほかなりません。

 半年、1年の間に自分が以前よりも成長し、大きな判断力を身に付けたことになります。

 逆に、今日を含めた未来を考えたとき、「今日」は、「もっとも未熟な日」です。

「今日」の私は、もっとも未熟であり、最若年者であることに気がつきます。それがわかったとき、「もっと勉強しよう」「もっと向上しよう」と思うようになるでしょう。

今日」は、過去の人生の中でもっとも優れた「最高位の自分」と、未来に向けてもっとも未熟な「最年少の自分」の「2つ」が重なった特別な日なのです。

「人生」を「天上界へと続く階段」に喩えてみます。

 生まれたときが階段のいちばん下です。途中まで上った「現在」から下を見ると、今の自分は「もっとも高いところ」にいます。

 半年前、1年前の自分を見下ろして「ああすればよかった」と悔やんでしまうのは、「今の私」から見ると、半年前、1年前の自分が未熟に見えるからです。

 けれどそれは当たり前で、未熟に見えないほうがおかしい。だから、後悔も反省もしなくていいのです。

 ところが、階段の上を見ると、今の自分は「いちばん低いところ」にいます。だから、常に「謙虚」になることが大切です。

 過去の自分の判断に後悔をする人は、未来のことをあまり考えていないような気がします。

  自分を磨いたり向上させたりすること以上に、過去を悔やみ後悔することにとらわれているようです。自分を高めようとしない人にかぎって、過去を振り返ってばかりいます。

 過去に自分が下した判断は、正しかった。その時点では「最高の自分」だったのですから、「完全に100%正しかった」のです。

 過去を悔やむことをやめて、未来に向けて「いかに自分を磨くか、向上させるか、成長させるか」を考えてみてはいかがでしょうか。

 過去を振り返るより、「今の自分がどれだけ未熟か」を認識しながら、謙虚に生きていくことにしましょう。