夢の「マン・U移籍」を断り
ベルギーのチームを選んだワケ
西川に注いできた畏敬の念を明かした鈴木にも、実は浦和レッズでのチャンスが一度訪れている。21年5月9日のベガルタ仙台戦。ルヴァンカップで起用してきた鈴木を先発として抜擢し、J1リーグ戦でデビューさせた当時のリカルド・ロドリゲス監督は、その理由を次のように説明していた。
「ここまでの練習やカップ戦で、彩艶がすごく落ち着いてプレーしていたので起用に踏み切った」
それまでの5勝2分け5敗と苦戦していた、リーグ戦での戦績も関係していたのだろう。仙台戦で完封勝利に貢献した鈴木は、そのまま6試合連続で先発を射止めた。しかし、6試合目の湘南ベルマーレ戦では、コロナ禍で設けられていた試合出場に必要な申請を、鈴木の分だけ浦和側が失念。出場資格がないはずの鈴木がゴールマウスを守ったことが大問題に発展し、浦和は0‐3での「敗戦扱い」となった。そして結局、鈴木は続く柏レイソル戦で欠場を余儀なくされた。そこで完封勝利に貢献し、再び序列をひっくり返したのは西川だった。
不運な騒動から2年余り。西川の牙城を崩せないまま今回の移籍に踏み切った鈴木は一方で、母国スペインや日本で数多くの優秀なゴールキーパーを育ててきた名伯楽、ジョアン・ミレッGKコーチの指導を日々受ける、浦和の質の高いトレーニングにも充実感を覚えていた。
それでも海を渡るのは、長い目でサッカー人生を見たときに、実際に試合に出場しなければさらなる成長は望めない段階に差しかかっていると判断したからだろう。日本国内での移籍はいっさい考えていなかったと明かした鈴木は、浦和へ抱く愛情と恩義を前に進む力に変えたいと気合十分だ。
「とにかく自分は試合に出ることが大事ですし、さらに世界の舞台でプレーすることも大事でした。世界の舞台でプレーして、活躍していくことで、他のクラブの目にも留まると思っています。自分の夢を考えたときに、ベルギーリーグでプレーするのがベストだと決めました」
決断にはマン・Uの動向も関係している。元スペイン代表の守護神ダビド・デ・ヘアの退団に伴い、マン・Uは7月にセリエAのインテルから27歳のアンドレ・オナナを5年契約で獲得した。
カタールW杯期間中にカメルーン代表の首脳陣と衝突した関係で、昨年末に代表引退を表明しているオナナだが、言うまでもなく実力は世界レベル。5年契約で加入したオナナと自らの現在地を比較したときに、鈴木は「急がば回れ」が現状におけるベストの道だと決断した。
今回の移籍を「より高いレベルで試合に出るため」と位置付けた鈴木はこう語った。
「マン・Uで試合に出られるレベルにあるのかどうかを考えたときに、日本で試合に出られていない自分ではなかなか難しいと思いました。ただ、現時点で行けなくても、数年後には必ず行きたいと考えているので、着実にステップアップするために今回の移籍を決断しました」