理由は単純でした。当時の県警本部長は異動寸前。拉致事件となると、未解決事件を残して異動することとなり、本人の経歴に傷がつくからです。失踪事件なら、傷はつきません。そうした事情もあり、一家は赤ん坊も含めて無残に虐殺されてしまいました。 

 東京大学の某教授を検察が逮捕寸前まで捜査しましたが、最後の段階で中止になったこともありました。教授が警察病院の先生だったからだと、検察幹部が悔しがりながら言っていたことも思い出します。

 最近では、セクハラを受けたとして訴え出た、陸上自衛隊の五ノ井里奈さんの問題もそうです。関係した5人の自衛官は、全員謝罪したと報道されましたが、その後民事裁判では、1人を除く4人が争う姿勢を見せています。
 
「自衛隊は武士の末裔だから、一度謝罪したなら二言はない」と思ったのは、私だけでしょうか。私が会社の経営者で、セクハラ事件が起きたなら、当然経営者にも責任があります。事実関係を認めて社員が謝ったなら、その後裁判が起こったら身銭を切ってでも、争うようなみっともないことはやめさせて、大人しく賠償に応じさせるでしょう。

 自衛隊は彼らのせいで、大きくイメージを下げました。そのことの意味をトップから下級自衛官までわかっていないからこそ、こんな事態になってしまったのだと思います。ウクライナ戦争以降、日本の安全保障は極めて大事な時期にきています。こんな時期にこそ、優秀な人材が自衛隊には必要なはず。そうした大きな視野でこの裁判を考えることが、「本気のトップ」に必要だと思います。

日本の「空気」を象徴する
街路樹の伐採や枯死

 日本を覆う「本気度」の低下。それは、この国の頂点にある総理大臣が、本気でもない言葉を次々と叫んでいることとも無縁ではないでしょう。

 世の中を揺るがしたビッグモーター事件では、巨額な不正請求の悪質さもさることながら、店頭の街路樹伐採・枯死というより身近な問題にこそ、今の日本の根底にある「空気を読んで本気にならない風土」を痛感してしまうのです。

(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)