視力の高さとズレの調整
箕輪:「年収の壁」ってイヤだけど、「このお店は年収1000万円とか3000万円以上の人が行くところだよね」というのはあると思うんですよ。それと同じように、「人間に対する解像度が、ここ以上ある人だよね」という人だけで集まっているのが、怪獣人間の世界だと思っています。
それを見抜く力があると、お金がなくても「お前わかってるじゃん。その視力の眼鏡を持っているんだ」ってなるんですよ。でも、お金をめちゃめちゃ持っていても、ピントがズレていることを言うと、「話の前提が違うよね」という感じです。
尾原:そうですよね。
箕輪:『怪獣人間の手懐け方』で、やたら「人間を見よう」と言っているのは、怪獣人間的な、世の中を変える人のコミュニティーに入るには、人間に対する解像度や本質に対する視力の高さが絶対的に必要だからなんですよね。
尾原:だから僕からすると、『怪獣人間の手懐け方』って、『物語思考』の上級編にも見えるんですよ。物語思考でお互いのキャラがわかっているから、ノールックパスを出し合える。
箕輪:確かに。そこが一番じゃないですか。気の合う仲間と仕事をしてると、「箕輪にこれ頼んでもサボるだけでしょ」とか、みんなわかっているんですよね。
あとは、「なんでこの人って、みんなに痛いって思われてるのがわからないんだろうね」みたいな。「茶化し」じゃないけど、人のズレの指摘のし合いです。それで自分のズレも微調整しているという話です。
尾原:結局、経営者側に行けば行くほど、自分でできること以上のことをやっていかないといけないから、ノールックパスを出し合える仲間同士で試合が進んでいきますよね。
箕輪:そうなんですよ。僕が社長だったら絶対にもっとズレているんですよ。でも、編集者でいろんな人を見ているから、相対化されるんです。個人で発信ばかりしている人は、徐々にヤバいことを言い始める気がします。
尾原:自分が発信者だと、「いいね」が付く重力にどんどん負けていくからね。
箕輪:ですよね。