「意味がある」から「意味すらない」
尾原:一方で、ものすごい時代のムーブメントを反対方向から見たときに、見えることがあると思っていて。だから逆に、この本を書き切った後の箕輪さんがどうなのかをすごく知りたいんですよ。
箕輪:『かすり傷も痛かった』はエッセーっぽいのに、SNSを見ていると、思った以上に反応がよくて。普段ビジネス書を読んでいる人が、エッセー的なものを読んだら新鮮だったということかもしれない。
エッセーを読んでいる文学好きがこれを見ても、おそらく「エッセーチックに書いたビジネス書だね」って思うんです。だけど、ビジネス書しか読んでいない人が、意識高くなろうと思って読むと、結論もないまま散文を書いているので、刺さった部分があります。さっきの言葉で言うと、そこに金脈はないけど脈拍はあると思っていて。
僕がよく言っている、「役に立つから意味がある。意味があるから意味すらない」ということです。要は、読んだ後で「オチは何?」ということですね。
尾原:なるほどね。
箕輪:成田さんがウケているのも、そこに近いと思うんですよね。今、哲学とかが流行っていると思うんですよ。それこそ、僕は面識がないんですけど、東浩紀さんの『訂正可能性の哲学』も売れています。
そもそも前提を疑う、定義自体を再考する時間っていいよねという時期なのかなと思います。