ここまで述べてきたようなことを考えると、「その場しのぎの仕組みを作り、横文字を連発したら、スポンサーや被害者をごまかせるのではないか」という関係者の本音が見えてくるような気がして、万全の再出発を報告する会見とは、私には思えないのです。
真の被害者救済のために
避けられない議論とは
最後に、ジャニーズと刑事事件について考えてみましょう。
たとえば会見では、「東山新社長は児童福祉法の共犯などに問われるのではないか」という趣旨の質問が記者から出て、危機管理担当の弁護士が慌てて「東山氏は該当しない」と否定する一幕がありました。それは確かに当然です。彼は当時、ジャニー氏の悪行を噂として知っていたとしても、それを阻止する権限はなく、また実際、子どもたちをジャニー氏が宿泊する施設に連れていったという証言も聞きません。
しかし、このやり取りからは、改めてある種の「ごまかし」が垣間見えます。たとえば、記者会見に出てこない、事務所の枢要な決定を知るキーパーソンたちも共犯に問われる可能性があると、当然思わなければいけません。「ジャニー氏の合宿所に行けば性被害に遭う可能性が高い」と知りつつ、いかなる理由であれそこに児童を引き入れたり、児童が訪問するのを黙認した関係者がいるとしたら、それは共犯・ほう助ではないでしょうか。
やはり刑事事件として同事務所をきちんと捜査するのが、日本の人権意識を世界に示すためにも必要ではないかと思いました。元東京地検特捜部副部長の若狭勝氏は、ジャニーズ現職幹部について児童福祉法違反における共犯成立の可能性を指摘しています。また、統一協会の追及などで有名な紀藤正樹弁護士も、自身のX(旧ツイッター)で、「ジャニーズ事務所幹部に刑事責任の追及が今もできる」と、若狭氏の指摘を支持しています。
私には会見で、東山新社長が刑事責任を問われたときのひとことが一番耳に残りました。「もし、私が知って、止めていれば、私はここにはいなかったでしょう」――。「ジャニーズの常識は、世間の非常識」と私が会った事務所の幹部が嘆いていた言葉は、東山氏の境遇にも当てはまります。
しかし、これだけの数の被害者が出た以上、強制力のある捜査により、副次的にではあっても責任のある人を特定し、処罰をくださなければ、本当の被害者救済にはなりません。このことを、我々は改めて議論すべきでしょう。
(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)