直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
「歴史小説」と「時代小説」の
違いをわかりやすくいうと?
私が「歴史小説」と「時代小説」の違いを尋ねられたときには、「ごく簡単に言い切れば」と断った上で、「大河ドラマのようなものが歴史小説で、『水戸黄門』のようなものが時代小説」と答えています。
なんとなくイメージがつかめたでしょうか。もともと歴史小説と時代小説は、ほとんど同じものとされていました。
戦後間もない頃まで歴史小説・時代小説の区分はあいまいで、どちらとも分類できない作品や、両方を執筆する書き手もたくさんいました。
別物と分類されるように
歴史を題材にした小説をひっくるめて、歴史小説とか時代小説と呼んでいたのです。
しかし、あるときから急に少しずつ両者が分かれ始め、いつの間にか歴史小説の書き手と時代小説の書き手が別物と分類されるようになりました。
それぞれが専業化していき、いずれか一方しか書かない作家が増えてきたのです。
池波正太郎、司馬遼太郎、藤沢周平
戦後に活躍した作家の中で、歴史・時代の両方で成功した書き手は池波正太郎くらいだと思います。
池波作品を例に挙げれば、『真田太平記』は歴史小説、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』は時代小説ということになります。
司馬遼太郎は初期作品こそ時代小説の雰囲気がありましたが、中期以降は完全に歴史小説に特化していますし、藤沢周平は完全に時代小説に特化しています。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。