外国人のビッグネーム不在が
「常勝」のチーム作りを狂わせた
97シーズンにヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)と天皇杯を制した鹿島は、98シーズンに2度目のリーグ優勝。00シーズンに史上初の国内三大タイトル独占を達成し、01シーズンにはリーグ戦を連覇した。当時のクラブ事情を、鈴木氏はこう明かしたことがある。
「当時の社長の判断の背景には、アントラーズがJリーグで生き残っていく上で大きな危機感が働いていた。かなりの金額の赤字も出したが、それでもタイトルを取り続けていけば02年の日韓共催W杯開催都市に選ばれ、そうなればカシマサッカースタジアムも大きく改修できる。
スタンドが大きくなればもっと集客アップを見込めるし、実際にそうならなければ地方の小都市をホームタウンにするアントラーズは存続していけない。そうした共通の思いがチームを立ち上げたときからあった」
07シーズンから達成した史上初のリーグ3連覇を含めて、これまでに何度か迎えた鹿島の黄金時代はクラブの存続へ抱く危機感と表裏一体を成していた。クラブ全体に脈打つタイトルへの飢餓感にみせられた柴崎も、スペインへ旅立つまでに5つのタイトル獲得に貢献した。
しかし、日本サッカー界を取り巻く環境の変化が、鹿島伝統のチーム作りを狂わせる。
外国人のビッグネームを柱とした90年代から、リーグ全体の財政健全化と身の丈に合ったチーム運営が叫ばれた00年代前半は、生え抜きの日本人選手を柱とするメンバー構成に切り替えられた。
そこへ、日本人選手のヨーロッパ移籍が相次いた00年代の後半以降を迎えた。高卒で加入した選手たちが主力に育った段階で、よりレベルの高い舞台への挑戦を望む。チームには痛手でも、鈴木氏は「一度限りのサッカー人生で、選手の夢を阻止するつもりはない」と快く送り出してきた。
それでも戦力をやり繰りし、鹿島は18シーズンに悲願のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を初めて制した。しかし、国内三大タイトルに限れば、リーグ戦と天皇杯を制覇した16シーズンを最後に、今シーズンを含めて7年間も無冠が続いている。17年1月に旅立った柴崎を皮切りに、選手たちのヨーロッパ移籍が加速した期間とくしくも一致する。
そうしたなか、ヨーロッパのシーズンが終わるタイミングなどを見計らい、鹿島は常にクラブ出身のヨーロッパ組とコンタクトを取ってきた。ファミリーのような一体感と、タイトル獲得へ抱く貪欲さが成長を促してくれるという思いが、いわゆる“Uターン”移籍を次々と後押しした。
そして前述の通り、現在の鹿島ではヨーロッパから復帰した選手たちが主軸を担っている。