「掟破り」のおわびに
選手たちに「ゴール献上」を指示
フェアプレー精神を冒涜する行為だとして、名古屋の選手たちは激しく抗議した。
しかし、あくまで“不文律”の紳士協定を破っただけであり、明確なルール違反ではない以上、同点ゴールは取り消せない。スタジアム全体が困惑するなかで、長谷部監督は名古屋の長谷川健太監督へある言葉を伝えた。「ゴールを献上します」と。
名古屋のキックオフで再開された一戦は、福岡の選手たちがいっさいの守備を放棄。名古屋のFW永井謙佑がゆっくりとしたドリブルで、無抵抗な福岡の選手たちを抜き去り、勝ち越しゴールを決めた。1-2からは通常モードに戻ったものの、福岡は最終的に2-3のスコアで敗れている。
ルキアンの「紳士協定破り」の背景には、実は1失点目を巡る因縁があった。前半開始早々、福岡のキーパーとディフェンダーが味方同士で衝突し、共にピッチ上に倒れるアクシデントがあった。にもかかわらず、試合は中断されず継続。その隙を突いて名古屋に先制されていたのだ。ルキアンは「隙あらばやり返したい」と機会をうかがっていたのかもしれない。
しかし、サッカー界に生きる者の一人として、ルールや勝敗を超越してでも順守するべきものがある。そう考える長谷部監督は毅然と筋を通した。ハーフタイムや試合後のロッカールームで、選手たちには気持ちを入れ替えてほしいとばかりに「理解してくれ」と訴え続けた。
長谷部監督の「頑固者」ぶりと、曲がったことを忌み嫌う性格をお分かりいただけただろうか。
さて、長谷部監督が黄金期のヴェルディ川崎に在籍していたことは先ほど触れた。選手としてはその後、Jリーグに昇格する前の川崎フロンターレ、楽天が経営権を取得する前のヴィッセル神戸、イビチャ・オシム監督(故人)の下で上位争いを繰り広げていたジェフ市原(現ジェフ千葉)でプレー。32歳だった03年夏に現役を引退している。
現役引退後はプロゴルファーを目指すなど、異色のキャリアを歩んだ長谷部監督は06年にスカウトとして古巣の神戸へ復帰。年代別チームやトップチームのコーチを務めた。
16年からはもう一つの古巣である千葉のトップチームコーチを担当。18シーズンからは前述の通り、水戸の監督に就任した。そして、19シーズンには水戸をクラブ史上で最高の7位に躍進させた。それまでJ2の中位に甘んじていた水戸を変貌させた手腕を見込まれた長谷部監督は、その年のオフに福岡の指揮官に就任した。
当時の福岡は「5年ごとにJ1に昇格するが、わずか1年でJ2へ降格する」というパターンを3度も繰り返してきた。長谷部監督に託された最初の使命は、福岡をJ1に定着させることだった。
その結果、長谷部監督は就任1年目の20シーズンに福岡をJ2の2位へ導いて昇格を果たすと、21シーズンからは3年連続でJ1残留を達成。現23シーズンは残り2戦で8位につけ、さらに上位へ食い込みそうな勢いも見せている。そして冒頭の通り、ルヴァンカップ制覇という初タイトルももたらした。
予算的にも、大物選手をなかなか獲得できないチームを躍進させている秘訣は何か。