「その日」は突然やってきた
池田氏に強く手を握られた瞬間
その池田氏と私は、一度食事を共にしたことがある。といっても、創立者主催の会食会で、確か92年の2月か3月のことだった。大学構内のロワール食堂にて、学寮で暮らす学生たちにすき焼きが振る舞われたのだ。そこに池田氏はいた。
ビンゴゲーム大会が行われ、学用品などの景品が振る舞われた。参加者は全員、「これから寮を出て下宿で暮らすのだろうから」という理由で、茶碗をもらったと記憶している。
今ではどういう経緯か忘れてしまったが、会食会が終わったとき、たまたま池田氏の近くにいた私はとっさに手を出した。すると池田は、私の手をギュッと力強く握る。まるで大工職人のような大きな手だった。肩を叩き、こう言った。
「お母さんを大切にね。頑張るんだよ」
私の母のことまで、創立者は気にかけてくださる。確かに、先輩や同級生たちが言うように、先生はすごい人なのだろう。有り難いことである。
その後が大変だった。「創立者と握手した手」を触ろうと、多くの学生が私のところに押し寄せてきた。信仰で練れた人格者として知られていたある女子学生が、私に言った。
「信心も頑張らないとね。だから創立者は、あなたのところにやってきたんだよ」
結局、一片の信仰心も芽生えなかった私だが、大学を出てからのマスコミ生活で、「未入信の創大卒」という珍しい自らの立場を、最大限使ってみようと思った。
創価大学の卒業生であれば、創立者に手紙を書けば必ず返事が来るという。それを確かめてみたかった。「反響を呼んだ記事を書いた」「書籍を出版した」だのといった近況を、それこそゼミの指導教員に出すような感覚で、「創価大学創立者・池田大作先生」と書いた手紙にしたため、創価学会本部宛に送った。そのすべてに返事が来た。
もっとも返事の多くは、「お便り有難うございました。くれぐれもお体にお気をつけください」という定型文が、電話で学会本部の女性職員から読み上げられるというものだった。