テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになった。そして19歳のとき、4つの銘柄を買ったことが株式投資の始まりだった。あれから68年、バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで減った。しかし今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。

資産18億円を築いた87歳、現役トレーダーが抱く<br />相場師にとって大切な要素とは?写真:川瀬典子

「相場」を読む力
「時代」を読む力

株には「相場を読む力」が必要ですが、私の人生を振り返ってみると、「時代を読む力」もそれなりにあったのではないかと思います。

高校時代に就職先をペットショップに決めたとき、日本はペットブームの真っただ中にありました。

1920年代には「熱帯魚ブーム」が起こりましたが、その後、戦争の影が色濃くなるにつれて「ペットを飼う」という余裕は日本人から失われました。神戸でいえば、1928年にできた諏訪山動物園も1951年に閉園しています。

ペットブームの到来

戦争が終わり、少しずつ生活が立ち直り始めると、癒やしを求めて多くの人たちがペットを求めるようになりました。

いわゆる「ペットブーム」が巻き起こり、私がペットショップに就職先を決めたころには、あちこちにペットショップがありました。

諏訪山動物園も、移転して王子動物園としてふたたび開園しました。いまや王子動物園はパンダがいる動物園としても有名です。

船員たちの小遣い稼ぎ?

私が独立して開店したペットショップにも、たくさんのお客さんが来てくれました。当時の売れ筋は犬やオウム、カナリアでしたね。

犬は富裕層、小鳥は一般家庭で好まれました。そう大きくはない店でしたが、サルなどの取り扱いもありました。サルやオウムは神戸港に来る船員から買い取っていたんです。

船員は世界各国を回るなかで、東アジアのボルネオなどでサルやオウムを安く仕入れ、日本で高く売るわけです。ちょっとした小遣い稼ぎですね。

オランウータンを買ってみた

オウムは岡山で繁殖させている人がたくさんいたので、そこまで買い付けに行くこともありました。サルはオナガザルにオマキザルなど、いろいろな種類がいました。

印象深いのはオランウータンですね。珍しいので高く売れるはずだと思って80万円で買ってみたものの、なかなかオランウータンを買ってくれる個人はいませんでした。

そのため結局、15万円で動物園に伝手のある業者に売る羽目になりました。

オランウータンと繁華街を
手をつないで散歩してみた

オランウータンと手をつないで神戸・三宮の一等地を散歩したこともありましたね。いまは法律が厳しくなっているので、とても無理な話です。

法律の締め上げに加え、1970年代にはペットブーム自体が下火になりました。

都市開発による地上げという予想していなかった形ではありますが、経営が思わしくなくなる前に手放すことができたのは幸いでした。

※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。