監督のクビを次々すげ替え
そのたびに混乱を呼ぶ

 実はこの時も、三木谷氏の現場介入疑惑が浮上した。結果を性急に求め、難しいと判断すれば次の手段を講じる。企業としての楽天を急成長させた剛毅(ごうき)果断ぶりが、サッカー界では逆に混乱を引き起こしたのだ。

 同じ図式で考えれば、昨シーズンの神戸も大ピンチを迎えていた。三木谷氏の涙の続投宣言後も状態が上向かなかった神戸は昨年6月下旬に、またもや監督交代に踏み切ったからだ。

 代行も含めて1年間で4人目となる指揮を託されたのは、神戸で現役を終え、さらに指導者としてのキャリアもスタートさせた吉田孝行氏。過去に神戸監督を2度務めるも、成績不振で共に解任された経験があり、今回で3度目の就任だった。

 そんな吉田氏は、昨シーズンの終盤に大きな決断を下した。

 依然として下位に沈み、3度目のJ2降格もちらついていた苦境下で、戦い方を転換したのだ。吉田監督は新戦術について、「もっともっと前から(ボールを奪いに)いく形に変えた」と振り返る。

「そこ(戦術変更)に関しては選手たちも同じ意見だった。だんだん手応えをつかみ、終盤戦の5連勝で自分たちが本当にやらなきゃいけないプレーは何なのかが明確になった」

 終盤戦で14年ぶりとなる5連勝をマークするなど、吉田監督の下で復調を遂げた神戸は最終的には13位でJ1残留を果たした。

 しかし、新戦術を実行した主力メンバーの中に、神戸のキャプテンを務めていた元スペイン代表のレジェンド、アンドレス・イニエスタ(現在は退団)の姿は見当たらなかった。

 その一つの理由としては、イニエスタがコンディション不良に陥り、22年夏から戦線を離脱していたことが挙げられる。だが、それだけではない。

 前線からの積極果敢なハイプレスをチームの生命線に据え、ボールを奪うやいなやショートカウンターに転じる神戸の新戦術に、当時38歳と年齢を重ねたイニエスタはマッチしなかったのだ。

 スペインの名門、バルセロナで一時代を築いたイニエスタが加入したのは18年夏。すでに全員が退団したが、神戸はその後もFWダビド・ビジャ、DFトーマス・フェルマーレン、MFセルジ・サンペール、FWボージャン・クルキッチとバルセロナに在籍した経験を持つ選手を次々と獲得した。

 三木谷氏は名門バルセロナの出身者を集めることで、イニエスタが活躍していた頃の同チームのような「華麗なパスサッカー」を神戸に落とし込もうとしたのだ。

 ところが、その戦術も安定した成果につながったとは言い難い。確かに輝きを放ったシーズンもあったが、前述の通り下位に沈んだ時期もあり、波があったのだ。具体的には、19年シーズンには天皇杯を制し、クラブとして初タイトルを獲得。21年シーズンにはJ1で3位と史上最高位(当時)をマークしながら、続く22年シーズンには再び暗転している。

 そうした経緯を踏まえて吉田監督が編み出した「勝つための戦術」は、三木谷氏が掲げてきた「バルセロナ化」とは対極に位置していた。