イニエスタ退団後に
大物フアン・マタが加入するも…
吉田監督の下で迎えた今シーズンの神戸はキャンプから、復調気配にあったFW大迫勇也をキーマンに据えるスタイルへ本格的に移行した。前線からのプレッシングをチーム全員が繰り返す中で、たくましく走れて、球際の攻防にめっぽう強くて、がむしゃらに頑張れる選手が重用された。
無骨なハードワーク軍団と化した神戸において、イニエスタの居場所はさらになくなっていった。夫人のアンナさんの第5子出産に立ち会うために開幕直後に一時帰国し、チームを留守にした状況も響いた。イニエスタ抜きの神戸が、開幕から白星を積み重ねて首位をキープしていたからだ。
プロの指揮官が下した戦術変更を、イニエスタも敬意を込めて受け入れた。しかし、時間の経過とともに、状態が万全ならば試合に出られる状況を優先したい、という思いが頭をもたげる。最終的には契約を半年間残した7月にイニエスタは退団を決断。UAEのエミレーツ・クラブへ新天地を求めた。
イニエスタが去った後も、神戸は好調を維持。キーマンとなった大迫は自己最多の22ゴールを挙げ、初の得点王を獲得した。大迫は今シーズンの軌跡をこう振り返る。
「タカさん(吉田監督)自身、難しい決断がたくさんあったと思う。それでも先頭に立って『これだ』というものを示し続けてくれた。本当に説得力があった」
決断の中には神戸の最適解だと信じた形、つまりイニエスタ抜きの戦法を誰にも「忖度(そんたく)」せずに貫く決意も含まれていた。ただ、ここで気になるのが三木谷氏の反応だ。自身が掲げた「バルセロナ化」とは異なるスタイルで手にした、J1リーグ優勝をどのように受け止めているのか。
優勝を決めた後に神戸市内のホテルへ慌ただしく移動し、祝勝会前に吉田監督や大迫らと臨んだ優勝会見。その席で、三木谷氏は最後までブレなかった今シーズンの戦い方をこう語っている。
「今シーズンはここにいる選手を中心に、オープンに意見を言い合える環境があったと聞いています。監督と選手との間で『どういうサッカーをすれば勝てるのか』という議論がかなり出されていた、と。ヨーロッパを見ても、スタイルはいろいろな意味で進化している。所属する選手の質、といったもので変わってくる。さまざまな意見をぶつけ合った末にできたスタイル、ということですよね」
三木谷氏から同意を求められた吉田監督は、自負を込めてうなずいた。
というのも、実はイニエスタ退団後の9月、神戸には元スペイン代表の司令塔フアン・マタが加入した。スペインの名門バレンシアをはじめ、イングランドの強豪チェルシーやマンチェスター・ユナイテッドでも活躍したスター選手である。吉田監督はその大物を、9月のサンフレッチェ広島戦でわずか10分のみ起用。それ以降のリーグ戦では出場機会を一切与えなかった。
勝利を後押ししようと、イニエスタに代わる大物を獲得した経営側。35歳のベテランとなり、走れなくなった選手は不要だと、マタの存在に頼らなかった現場。結果的に優勝につながったのは、後者が志向したハードワークだった。